夕方から『くろすとーく』の編集会議があり調布へ行き、その後三鷹に住む私の妹の所へ母から預かった荷物を届けました。私は4人姉妹ですが、それぞれが両親のことを気遣ったり、自分の将来を考えたりしてるんですよね。夜からFASメンバーで伊東に観測旅行に出かけました。深夜の移動中ずっと星がきれいで、未明にHB彗星も見えました。
10月30日(木)
終日『minimini』の原稿「みらとみらい21」紹介にかかり、今月も無事に仕上がりました。夜はゴーシュの会で、イーハトーブ旅行の感想や思い出を語り合いました。私が撮ったデジカメの写真も、TV画面でみんなに見せてあげました。新しい原稿依頼のメールが来ました。天文関係でちょっと楽しみです。そういえば夕方、金星が南できれいに輝いていました。
10月29日(水)
未明まで『ぴあ』の原稿を書きました。昼に起きて、午後は朝日新聞社から依頼されていた原稿を仕上げました。全国紙で毎木曜日掲載の「二都物語」(文芸欄)で、諏訪の文化と自分がテーマなのです。私は来年行われる御柱祭のことを書きました。掲載日が決まったらお知らせしますね。夜は『minimini』の原稿と、締め切りが続きます。ふぅー。
10月27日(月)
『くろすとーく』11月号の配達。ウインドー越しの日差しで昼間の車中はとても暖かでした。でも夕暮れ時から風が冷たくなり、ラジオでは「木枯らし1号が吹いた」と言いました。木枯らし1号って、調べてみるとただの強い北風じゃなくて「西高東低の気圧配置、北から西北西の風、風速18M以上、翌日の気温が2~3度寒くなる」なんですね。
10月26日(日)
天気予報ではとても寒くなると言っていましたが、霊園や会食場ではポカポカと穏やかな気候で良かったです。諏訪の父母も来てくれて、義祖母の三回忌と義祖父の十三回忌を行いました。おばあちゃんから母が受け継いだ、梅干し作りやはんてんの作り方など私もだんだん覚えていきたいな。TVでは、天皇賞・サッカー・F-1など賑やかでした。
10月25日(土)
明日の法事のために、名古屋から親戚が泊まりに来ています。以前、私の祖母の法事で住職が「一周忌・三回忌・七回忌……とあるのは、親族一同が仲良く集まれる機会を、故人が作ってくれる意味もあるんですね」と言いました。本当にその通りだと、こうやって故人を偲んで集まってくる親戚たちを見て思いました。
10月24日(金)
出かける用事があったのですが延期になったので、たまっていた手紙を書いたり所用を片づけたりしました。高校時代の友人たちが相次いで出産し、彼女たちから便りがよくきます。電子mailも便利だけど、やっぱりハガキや便箋に書かれた手紙が届くとうれしいですね。夜は、FASの門田さんが荷物を届けてくれて、深夜のお食事に出かけました。
10月22日(水)
久しぶりの乗馬練習。最近はいろいろ慌ただしくて、早起きをして乗馬に行くことができませんね。帰り道で店に寄り、久々にたっぷり買い物をしました。午後はたまっていた繕い物をしたり、干し物を片づけたりしました。気持ちの良い天気で、窓を開けて家事をすると気持ちいいです。夜は請求書や返却写真の郵送準備などでバタバタと。
10月21日(火)
怪鳥さんが通院の日で、私は『ぴあ』の原稿を書いていました。インターネットでその情報を集めようと通信していたら、朝日新聞の文芸欄担当者から電子メールが届いており原稿の依頼でした。びっくり! まだ掲載日は未定ですが、全国版に載るようです。夕方から『くろすとーく』の編集会議。そろそろ年末進行があちこちで始まります。
10月20日(月)
東京もいい天気で、旅行の片づけをしたり洗濯をしたりしました。仕事のレギュラーが来月で終わる連絡が来てちょっとがっかりしていたら、他から新しい仕事の依頼が相次いできました。こんなふうに、いつもなんとかなるのはありがたいですね。東北のおみやげに買ってきたお菓子を家族で食べました。おいしかった!
10月19日(日)
澄んだ青空の下、紅葉で美しい岩手山と姫上山を眺めます。小岩井農場で一息ついてから「手作り村」へ。ここでは岩手工芸の実演販売をしており、怪鳥さんは南部鉄に関心を持ったようです。その後盛岡市内に戻り車窓から賢治ゆかりの場所を教わります。最後に郊外の岩山展望台から市内を見下ろしました。仲間との楽しかった旅もこれで終わり。
10月18日(土)
郷土博物館や昔話館で、オシラサマなど遠野の民話について学びました。特に88歳の白幡ミヨシさんが方言で語ってくれた民話が印象的でした。午後は南部曲屋を見学しながら盛岡へ移動します。賢治ゆかりの岩手城跡や童話を出版した光原社と材木町界隈を散策。今夜の泊まりは繋温泉の高級旅館四季亭で、のんびりしました。
10月17日(金)
大宮に集合し「ゴーシュの会」有志8人で新花巻を目指しました。実は東北新幹線に乗るのは初めてで、ずっと車窓の風景にキョロキョロしていました。現地では先生の甥がレンタカーのドライバーをしてくれて、さっそく花巻農学校にある羅須地人協会や賢治記念館などを訪ねました。夕方は元岩手軽便鉄道・釜石線にそって遠野まで行きました。
10月16日(木)
怪鳥さんにも手伝ってもらいながら、『ぴあ』の仕事を夕方までに仕上げました。明日から3日間、宮沢賢治同好会「ゴーシュの会」の仲間とイーハトーヴ旅行に行くので、その準備をしました。初めての盛岡・遠野はどんな風景なのか楽しみです。先生が地元なので、賢治ゆかりの場所を巡りながらいろいろ教わるのです。
10月14日(火)
知人から依頼された「天文観測データノート」の惑星動向の版下を作りました。昨年も手伝ったのですがとても細かい内容で、1年間分の全週を作るのはけっこう大変です。でも、仕上がったときにはなかなか壮観でした。こうしてみると水星や金星の細かな動きっておもしろいなぁ。十三夜の今晩の夕食は、栗ご飯と焼きサンマという秋の味覚。
10月13日(月)
昨晩仕上げた原稿を持って調布編集室へ。今月もなんとか担当記事が終わってよかったです。画廊は明日から3日間「とーくデイ」という企画展を行います。今回は自然をテーマにしたファッションの展示販売です。来月も行うようです。夕食の買い物に近所の商店街に出かけたら、月がとってもきれいでした。そう、明日は十三夜です。
10月12日(日)
FASの定例会でした。新人さんが増えて、メンバーの新戦力って感じですね。その途中から、昨日の取材の続きへ向かいました。「アマ天」は今回で最後となってしまい、今までの回顧とこれからの望みを託して、会は閉じられました。詳しいことは1月号をご覧下さいませ(無事、掲載されましたらネ)。
10月10日(祝)
気持ちいい秋らしい天気。部屋の掃除を思い切りやったら、けっこう疲れてしまった。実は、今日は結婚記念日だったのです。といっても、夕食に家族でお寿司を食べたくらいで、特別なことはしなかっんですがね。でも、こうやって穏やかに暮らせることが一番大切なんでしょうね。リトルと怪鳥の4年目がスタートしました。
10月 9日(木)
乗馬と観測の疲れで、昼まで寝てしまいました。午後から『minimini』の競馬場記事の校正などをやりました。連休前のせいか仕事依頼の電話がたて続きに来ます。いずれも今週末から来週にかけての仕事です。がんばろっ! 映画試写会が当たっていたのですが、深夜なのでお休みしちゃいました。残念だけど仕方ないね。
10月 6日(月)
今日締め切りの『サリダ』原稿をやりました。取材自体は1ヶ月も前にやってあるので、ちょっと思い出しながらです。なんとか終わりよかった。 最近、アトピー性皮膚炎が出てきたのか、体中にかゆみがありなかなか寝られません。保育園のころがピークで、中学生以降でなかったのにな。ちなみに姉妹も皆、アレルギー持ちです。困った・・・。
10月 4日(土)
高校新聞部の友人の結婚披露パーティーが東京プリンスホテルのガーデンで行われました。二人とも青年海外協力隊としてボリヴィアに行ったので、会場の片隅には南米の物産や写真が展示され、新郎新婦を交えてフォルクローレのダンスをするなど楽しかったです。婚約1週間後の彼女の誕生日に諏訪大社で挙式という、スピード結婚なのです。
10月 3日(金)
徹夜の原稿が続いたせいか、昼過ぎまで寝てしまいました。最近は昔のように体力が続かないな、と感じることがあります。うぅ……。夜、思い立って怪鳥さんの本棚を整理し始めました。天文3誌、競馬雑誌、コンピューター2誌などすべて捨てずにいるから、部屋は図書館と化します。 映画「愛する」のチケットが当たり届きました。うれしい!
10月 2日(木)
新しい仕事の打ち合わせで、京王線初台近くにある編集室へ行きました。駅前は先月オープンした東京オペラシティです。ここにはサイトウ・キネン・オーケストラでもお会いした世界的な作曲家・武満徹を記念したホールがあります。その後、写真を借りるために新橋にあるJRA中央競馬会へ行きました。深夜は『ぴあ』の原稿を仕上げました。
10月 1日(水)
新幹線あさまの走る姿がTVに映し出されています。結婚したころ取材で上田を車で走っていたときに見えた、凝ったデザインの橋や斜橋の上を、新幹線が人を乗せて走っていると思うと不思議な感じがします。今日から10月ですが、いかにも秋らしい穏やかな天気でした。夜、シャトルを見ようとしましたが、雲があり確認できませんでした。
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