先生から同じ場所の「江戸切絵図 」と「現在の地図」をもらい、双方を見比べながら歩く。
「お玉稲荷」はビルの間にけなげに建っていて、「千葉秀作道場跡」は小学校の名残のなか桜が咲き始めていた。
神田川に面した「柳森稲荷」は昔の面影そのままで、都会とは思えない静寂さがあった。
「万世橋」「万世橋駅跡」をめぐり、「筋違い見附跡」「昌平橋」「講武稲荷」など秋葉原の喧噪とは全く違う空間を味わう。
たしかに、この地に粋な芸者姉さんや大きな反物(伊勢丹跡)や、文明開化を知らせる鉄道が走っていたと肌で感じた。
それから、「男坂の階段」をのぼって「神田神社」へ。
私は初めて来たけど、都内のあちこちの稲荷などが集められていて、なんか凄いパワースポットって感じ(^^;
どんな小さな社も本来有るべき所にあってほしいけれど、せめて移して残しておこうという畏怖も伝わってきた。
そうそう、神田神社の奥に「古い万世橋の欄干」が残っていた。とても時代を感じる。
ちなみに、万世橋(よろずばし)は時代によって架かる場所が変わっていたそうです。くわしくはこちらなど参考にして下さい。
最後は、「湯島聖堂」からお茶の水の南側をめぐる。
「大田南畝の終焉の地」「芭蕉の居住跡」「小栗上野介邸の跡」と駿河台を行き交う武家達を思い浮かべたり、ニコライ堂のすぐ下に住んだという「与謝野鉄幹晶子の居住跡」を訪ね、その辺りを行き交っただろう友人の夢二や牧水の姿を想像する。
ラストは「大田姫稲荷神社」をお参りしておしまい。
太田道灌と一口稲荷神社の縁起を読み、どうして一口が“いもあらい”なのか、どうして“稲荷”なのか勉強になった。