6月13日(月)

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 賢治とは直接関係ないけれど東北の“いま”の様子を知りたいと思い、先生にお願いして宮古方面へ行くことにした。ご親戚の方がドライバーをしてくださり、レンタカーで出発。
 北上山地を越えるべく閉伊街道(宮古街道)を走る。緑と川のせせらぎが美しい峠道だか、簗川ダムが造られ横断道路も新設され風景は一変するらしい。(右の写真をクリックすると拡大します)

 宮古に着くと信号が消え、街の中は神奈川・埼玉など各地のパトカーが走っていた。やがて両側の家に「解体」とか「取り壊し」などが書かれた建物(写真左上)が増えた。宮古大橋を渡るとき、テレビで何度も見た「宮古市役所前の海岸堤防」(写真右上)が見えて、「ここを津波が乗り越えたんだ……」と実感した。
 そのまま海岸を北上し、田老地区へ行く。日本最大と言われる田老のスーパー堤防も無残な姿になり(写真左右2段目)、田老駅(写真左3段目)も堤防の中で平穏に暮らしていた街並み(写真右3段目)もみんな消え失せていた。

 さらに北上し小本地区まで行く。「熊の鼻」という名勝地から海を見下ろすと、崖の高いところまで津波の傷跡があった(写真左4段目)。
 ここから、小本街道を山に向かって進む。まもなくすると、高台に仮設住宅(写真右4段目)が建っていた。みんな新しい生活を始めているんだね。被災した方が少しでも穏やかな生活ができるよう心から祈ります。
 そういえば、途中で道の駅に寄ったとき「頑張ろう!宮古」「かならず春が来る」と書いたステッカーを貼った車(写真左5段目)が止まっていた。盛岡でも多くの救援車を見かけました。
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 遅い昼食の後道の駅三田貝分校に寄った。ここはその名の通り「町立門小学校三田貝分校」の跡地に建っていて、レストランのテーブルが教室の机でメニューも給食みたいだった。
 早坂峠を越えるとき、土砂降りになった。玉山地区を通り、盛岡市内へ到着。
ドライバーさん、先生、道の案内などもしてくださりありがとうございます。

 午後4時、盛岡駅でお別れ。先生はそのままもう一泊するので、メンバー3人で新幹線で帰宅。(左の写真をクリックすると拡大します)
まもなく、こちらの窓が暗くなって雨が降ってきた。でも、反対側の窓は明るくて陽が差している。……てことは、こっちに虹が見えるはず!と思うと、確かに水田から虹が立っていました(写真上)。
 福島を過ぎて郡山のあたりになると、屋根の上にブルーシート(写真中)が増えてくる。この辺は、屋根瓦がだいぶ落ちているようです。

 午後7時前に大宮駅に到着。 ここでメンバーとも解散です。お疲れ様でした。
怪鳥さんは、はやぶさ帰還一周年の集いに出かけていました。
 最後の写真は、おまけの「はやぶさ」! こちらは、まだ新顔です(^^)

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