3月23日(木)

 お昼に府中を出て、諏訪へ向かう。こんな切ない気持ちで中央道を走るのは、4年前に亡父の付き添いをしたとき以来だ。ちょうどあのときも春だった。

 午後6時から、友人の実家で通夜が行われた。彼の遺影を見たらやはり涙があふれて、読経の間もあちこちからすすり泣きが起きていた。彼の最期についてお父様から詳細を聞いたとき、あらためて突然のことに悲しみがこみ上げた。
 お焼香をし棺の中に花を供え、永遠の眠りについている彼の顔を見ると、今にも目を覚まして起きあがりそうなほどきれいだった。お母様も彼の名を呼び話しかけていた。

 やがて、仕事を終えた男性友人や、子どもを預けて駆けつけた女性友人らが集まった。彼の最期の顔を見ながら、新聞部だった高校時代のことや、その後なんども集まって語らったことなどを思い出し話した。
 そのうち、葬儀の時に友人代表として読む弔辞の内容について、「もっと具体的な彼とのエピソードがあった方がいいのではないか」とか「30年という長い付き合いのなかで俺にはどれを選ぶかなど浮かばない」とか、まるで新聞部時代のように議論になった。
 ふとそんなとき、「きっといま彼がそばで見ていて、『面倒かけて悪いな』って言ってるよ……」と誰かが言った。そうだね、優しい彼だから、そう言うにちがいない。

 夜10時くらいまで、彼のご両親やお兄さん夫婦、そして集まった仲間達と何度も何度も涙を流しながら彼を惜しんだ。諏訪の実家に帰って眠りについても、夢の中で彼の死が駆けめぐっていて、頭の奥が痛くなるほどだった。

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