9月9日(日)


 お昼まで「彗星 夏の学校」を受講。勉強に交流に宴会にとぎっしり詰まった予定も無事終わりました。

(一つくらい「夏の学校」の写真も載せようか……ということで、昨日発表した怪鳥の姿。こんな感じでした。)





 午後は再び、怪鳥と姫路城を探索~。(もはや“見学”から“探索”モード(^^;)

 まずは、昨日見なかった西の丸からじっくり回りました。
さすがに千姫ゆかりの「化粧櫓」や、百間廊下と呼ばれる「長局」など、立派なものでした。
(写真は長局の窓から化粧櫓ごしに見た天守閣)

 さらに昨日見なかった「水の門」あたりや「ぬの門」を見ながら、天守閣へ入ります。



 今日は「西の柱」と「東の柱」を地下階からじっくり観察。
 姫路城を支える2本の心柱は、昭和の大修理のとき補修されているそうです。とくに「西の柱」は再利用不能であると判断され、新しい2本の檜を使って通されました。


 その継ぎ目が3階部分にあるというので、怪鳥とそこを観察。
最初ははっきりしなかったのですが、木の目をじっと見ると左右で会わないことがわかり、2本の別の木だったのです。
(写真の怪鳥側の木が下から来ている部分です。また階段を見ると、上から来る部分の継ぎ目が分かりました。)

 実は昔の西の柱も、二本継ぎで作られていたそうです。西の柱は構造上真ん中(3階)で分割しないと、立ち上げとき先に組み上げられた東の柱に干渉してしまい、狭い作業空間内では正しく組み上げられないんだそうです。



 そして、「東の柱」は根元だけ腐食していたのでそこだけ新しくして、基本的には古い木のままだそうです。
 具体的には、地下階だけ新しい檜で、1回から上が建築当時のままのモミの木です。(「東の柱」写真は1階の部分)

 地下階の柱は、たしかに檜のにおいがしてなめらかな手触りですが、1階から上の東の柱はモミの木の素朴さがありました。そして長い年月の間に表面はボロボロしてました。
 でも、この柱が四百年以上にわたって、堂々たる姫路城を支えていたのだと思うと感動します。

 

 こうして我々の長い「姫路城探索」は閉門まで続きました(^^;

 姫路からは(行きはJRだったので帰りは)山陽電車で神戸の三宮まで。ふたたび車窓から明石大橋を見たり、須磨の海岸を眺めたり。
 20時に神戸を飛びたち、21時半ころ羽田に到着。

 とても充実した三日間でした。
 おつかれさまでしたm(__)m

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