3月12日(月)

 仕事のお礼ハガキが二通届いた。先日完成した『世田谷区の昭和』で写真を提供していたくださった、別々の人物から。ほかの方からも今までに、電話やメールでお礼をいただいている。自分の手掛けた本のお礼を直接いただけるのは、嬉しいかぎりです。こちらこそ、ご協力ありがとうございますm(__)m
 そのうちの一通には「仕事が形になって残るのはうらやましいです」と書いてありました。
たしかにありがたいことで、それがやり甲斐のひとつにもなります。

 お礼と言えば、台湾が震災直後から大きな(手厚く巨額の)支援をしてくれたことに、感謝する新聞広告やテレビCMを出している。その動画を見て、いっそう台湾との交流を大切にしたいと思った。
(財)交流協会台北事務局という民間レベルはもちろん、国家レベルで深い交流ができるようになったらいいな。
 あらためて「ありがとう、台湾」

 カーラジオから「今日は長野県栄村の大震災から1年の日です。3月11日だけでなく、12日も忘れないように」というお便りが読まれていました。
 私は11日午後の東北地方太平洋沖地震発生からずっと、家族でテレビの報道を見続け、自分の感じる余震を確かめ続けていた。とくに深夜からは原発が心配で眠れず、栄村地震の時もずっと起きていた。東京でも大きく揺れてすぐに速報で確認したから、栄村の震災は「3月11日から起こった東日本震災のひとつ」として、神奈川や東京や千葉で被害を受けた方がいるように、栄村の人たちのことも常に気にかけ仮設住宅で暮らす苦労を心配している。
 日本有数の豪雪地帯(ということは、世界有数の豪雪)で、津波被害や放射能被害とまた違う苦労をされています。お盆や正月に諏訪に帰省したときも、地元ニュースは現状を報道していた。もちろん今日の信濃毎日新聞も。

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