熊本の門田さんが東京へ来たので会いました。まずは私の車のタイヤ交換を手伝ってくれて、そのお礼にいっしょにご飯を食べに出かけました。夕方から3人で東京スタジアムへ行きFC東京のナビスコカップ対ヴェルディ戦を観戦。小雨降る平日ナイターとはいえ相手サポーターはとてもホーム試合と思えない人の少なさ。彼らは成績も悪いし大丈夫か?と思わず心配してしまうほどの閑散ぶりです。一方こちらは相変わらずの盛り上がりで、試合も宮沢選手の華麗なコーナーキックで1点を決めて連勝してくれました。ちょうど1年前にナビスコ杯の甲府戦で彼のキック力の良さをかっていた我々はその成長ぶりに大満足。ホントはもう少し点が欲しかったけど雨でコンディションも悪かったから仕方ないかな。久しぶりに続けて観戦できてしかも連勝してくれたからうれしかった。
4月29日(祝)
明日友人が遊びに来ることになったから…ってわけじゃないけど、天気もいいし怪鳥さんの仕事資料も広がってないので久しぶりに大掃除をしました。今回は数日前から2階冷蔵庫の霜取りもしていたのでここも掃除。今年は1月のフィンランド旅行準備・不在・帰国後の荷物、2月末からの諏訪往復・不在などで、落ち着いて部屋にいることが少なかったのでゆっくり掃除をする間もなかったのです。 怪鳥さんと深夜にふと「あれい星雲」をきかっけに「“あれい”とは何か?」を探り始めた。ダンベルの綴りから「教会の鐘をならす装置」までいきついた。ちなみに“亜鈴”を正しく書くとすれば“唖鐘”になるだろう。実に奥の深い言葉だった~。
4月28日(日)
請求書を発行するのに半日を費やした。3月・4月分とイレギュラーな形で仕事をしたのでややこしくなってしまったのだ。やっと完成してひと安心。最近は私がイラストレーターに仕事を発注してるので、彼女たちの支払いも管理しなくてはいけないのでけっこう大変です。 義父がキッチンの水道をワンタッチタイプに付け替えた。さらに以前使っていたものを風呂場に付け替えたのだが、このときなにやら失敗したらしく大変なことになり、結局水道屋に来てもらって修理になった。昼食後から夕食前まで大ごとになってしった。でも、もっと困ったのはトイレの水が流せないこと。つくずく水洗トイレって使えない。
4月27日(土)
昼からナビスコカップを見に駒沢陸上競技場へ行きました。父の付き添いなどで諏訪にいることが多かったリトルは、今シーズン初めてのhttp://homepage3.nifty.com/FCTOKYO/ " TARGET="_blank">サッカー観戦。天気も良くて選手も近くに見えてとても楽しかった。なによりも(三都主や市川がいないとはいえ)エスパルス相手に快勝してくれて気持ちよかった! うちのサポーターは相変わらず敵・味方・審判かまわず辛口だし(^^;やっぱこうじゃなくっちゃ。生観戦はおもしろい。 渋谷へ寄って元五島プラネタリウムで開催している「メガスター」を見に行ったけど、ちょうどその時間はイベントがあり招待客しか入場できず残念だった。新宿で買い物をして帰宅。 ベランダから夜空を見上げたら、澄んだ空に満月が輝いていてきれいだった。
4月26日(金)
国税還付金が振り込まれたが、すぐさま国民年金の支払いへ。“お国”から来たお金がはすぐに“お国”に戻ってしまいました。郵便局はものすごく混んでいて、なんと36人待ち。ここでは初めてだよ、こんな多い待ち人数。明日からゴールデンウィークで、さらに月末だからかな。みずほ銀行は1カ月経つけど大丈夫なんでしょうかねぇ、私は使ってないからかまわないけど。ところでUFJ銀行って何の略? いつも使うたびに疑問です。
4月25日(木)
美容室に行きました。暖かくなると私の髪は伸ばすための準備にかかります。だって夏はまとめ髪にしないと暑いんだもん。というわけで、冬はショート夏はロング髪になります。夜はゴーシュの会へ行って『ビジテリアン大祭』を読みました。宮沢賢治自身、菜食主義者だったらしく、彼の考え方をかいま見ることのできる作品でした。
4月24日(水)
大洗濯ものたたみ大会~! 洗濯はしたけど畳んでないという物が押し入れの中でまさに“山”になっておりこれをやっつけた。これが完成すると次にやってくるのは…当然タンスにしまう作業。いっぺんに洗濯物が完成すると困ることはタンスが閉まらないこと ハハハ(^^; 2月末からのイレギュラーな生活によりこんなことになったわけでした。まぁ、せめても救いなのはわが家は夏物と冬物の衣替えをしないですんでいること。
4月23日(火)
FC東京のアマラオ選手が「武蔵府中郵便局の一日局長」というイベントがあり見に行った。子どもにも人気がある選手だし、なによりも平日の午後だから親子連れがたくさん来ていました。そんななか抽選会でなんとサインが当たってしまった(^^; まさか当たるとは思っていなかったので書いてもらうものを何も持参しなくて、悩んだあげく着ていた白いシャツの背中に大きくサインを書いてもらった。うーん、これはもう観戦用のシャツだな。周りにはサインを書いてもらう気マンマンでレプリカをにぎりしめて来た子どもたちがいたのに(ゴメンネ)。怪鳥さんはサイン色紙が当たった。昨年からFC東京グッズをいろいろ当ててる我々です。
4月22日(月)
昼間はたまったメールを読破して分類保存など。夜はFASメンバーの寺久保さんと怪鳥さんの3人で富士山麓までこと座流星群の観測に行きました。ずっと曇っていたので観測は難しいと思ったのですが、富士山のシルエットなど眺めているうちに晴れて、満天の星空になりました。深夜12時過ぎから3人で交代しながら3時過ぎまでいくつかの明るい流星を観測をしました。ドライバーありがとう>寺久保さん
4月21日(日)
やっと体が動き始めた。午後からFAS定例会でしたが出席者が少なく座談会みたいでした。その後は愛用の(^^;頭痛薬を買い、パソコンショップでCD-Rを買って借りたラジオ番組をダビング。カセットテープにダビングするより速いぞ、ありがとう>怪鳥さん FC東京はベガルタ仙台に敗戦。あーん、残念。フミタケ選手が怪我してから勝ってないぞ。
4月19日(金)
父の様態も落ち着いたのでお昼ころ病室へ顔を出してから、府中へ帰ってきました。前回帰宅したときもそうだったけど、帰ってきてしばらくは爆睡状態に陥ります。やっぱり体が疲れてるんですね。荷物の片づけもできないほどです。
4月18日(木)
今日は早めに病室へ行ったら急に大部屋うつることになりました。少し前からお願いしてあったのですが急に個室へ移動したい人がでたので、その患者さんと入れ替えの形になったのです。久しぶりの大部屋は前にいた部屋と同じ場所で相変わらず賑やかです。そんなことをしてる間にも父は血圧など良くなり点滴の量もどんどん減っていきました。
4月17日(水)
怪鳥さんが府中にいる間に申し込んでおいたワールドカップチケット申し込みが通過したらしい。しかも2試合分も(^^; ぶじ正式にチケット購入までいけるかしら。 父の付き添いを終えて夜に病院の外へ出たら、昨日までの雨が上がりとてもきれいな星空が広がっていました。子どものころ遊んだ近所の山まで歩いて行って、怪鳥さんと夜空を眺めました。流れ星がきれいだった。
4月16日(火)
怪鳥さんの誕生日。病院へ付き添いへ行く前にひとつ仕事の打ち合わせをしてから、妹がバイトをしている靴屋へ行きました。怪鳥さんにスニーカーをプレゼント…と言ってもとても安いんですがね。でも、変な足をしているのでなかなかピッタリとくる靴がなくて困ったものです。 午後から父の付き添いへ。主治医からの病状説明があり「かなり落ち着いてきているので、ある程度したらまた外泊も可能になるでしょう」とのこと。よかったね、お父さん。
4月15日(月)
気温が25度を超す夏日でした。父も意識のはっきりしている時間があり、ベッドを少し起こして窓の外を見たり、アイスクリームを食べたり、私の買ってきた黄色いチューリップを見たりしました。主治医も回診のとき「犬に会ってから元気になって良かったですね」と声をかけてくれました。このまま落ち着いている日が続くといいな。
4月14日(日)
午後からの付き添いに向かう途中、高島城によって二人でお花見をしました。天気もよくて桜もさかんに散って、花見客がたくさんいて賑やかでした。 父の体調がだいぶ落ち着いてきたので今夜から夜の付き添いをしなくてもよくなりました。この1週間、私は20時間くらい病院にいたからなぁ…。
4月13日(土)
今年から学校5日制…ということで、先日小学校に入学したばかりの子どもを連れて2番目の姉が付き添いに来てくれました。そのおかげで私は、原村に天文観測に来たFASメンバーと合流して池谷・張彗星彗星やリニア彗星など見ることができました。けっこう尾がのびていてきれいでした。でも付き添い疲れか体力がもたず仮眠をとりつつのお気軽モードでの参加でした。怪鳥さんはそのまま諏訪に残ってくれました。
4月12日(金)
久しぶりに買い物に行きました。半年ほど前に坂崎幸之助のラジオ番組で「幻の曲『イムジン川』について」放送していたのですが、その曲が先月ついに発売されました。ラジオで聴いたときに涙が出るほど感動したのですが、このCDの売り上げ枚数が多いことにもビックリ。いっしょに買ったCDは『さとうきび畑/涙そうそう』。『涙そうそう』はさだまさしの野外コンサート「夏・長崎から」で、BIGINがゲスト出演して歌ったときから気になっていました。ついでに『ビギンのオモトダケオ』も買ってしまった。午後からまた病室で付き添い。
4月11日(木)
花曇り…というより肌寒いくらいの一日。病院と家の往復の途中、高島城へ寄ったら桜がハラハラと散りはじめてきれいでした。父は昨夜以来ピタリとけいれんが治まって終日らくそうに息をして寝ています。もちろん先生や看護婦さんの治療のおかげなんだけど、ロッキー効果もあるのかな!?って思うくらいです。そのロッキーの散歩をしに近所の母校へ行ったら、放課後だったのでブラスバンド部の練習音が響き、グラウンドではテニス部・サッカー部・野球部がそれぞれプレーしていました。先月は入試の日や合格発表の日などがあったけど、今日はその新入生達が入部したのか大勢が練習していました。 明日は妹の仕事が休みなので夜番をお願いして、私は久しぶりに家のベッドで寝ます。
4月10日(水)
「お父さんに何をしてあげたら喜ぶかなぁ」と考えていた私たち家族は、父が大好きな愛犬ロッキーに会わせてあげたいとずっと前から思っていました。外泊できれば簡単なんだけど今の体調では難しいので、在宅医療の看護婦さんや病院の看護婦さんや主治医の先生に相談してなんとか病院の裏口で会えるようになりました。ベッドのまま点滴も酸素ボンベも持っての移動は大変ですがみなさんの協力でぶじロッキーと面会できて、父もとても喜びました。意識もはっきりしていて体調も悪化せずにすみ本当に良かったです。夜、そのときの写真をみせたらとても嬉しそうで、ケイレンも治まって久しぶりに満足そうな父でした。
4月 9日(火)
花曇りという言葉がピッタリの空模様。朝、一時様態が悪化したが、薬を投与してからは夕方まで軽いけいれんですみ、父も少し楽そうでした。昼に母と交代して私は家へ戻り仕事の手配や納品など。原稿書きは病室で付き添いながらできますが、インターネットを使う仕事は自宅でないとできないのでちょっと苦労します。 父に桜の花を見せてあげたくて、犬の散歩のついでに摘んできて病室へ飾りました。父の目の前に見せたけどわかったかな。けいれんが治まっていても薬の影響で意識が混沌としているときが多いからむずかしいです。
4月 8日(月)
病室に看護学生さん二人が挨拶に来ました。水色のストライプのブラウスが初々しいです。…と思っている間に昼から父のけいれんが再開。何度もけいれん止めの薬を投与してくれますが、いっこうに治まりません。「これ以上は呼吸などに影響が出てしまうから」ということで、午後はそのまま様子を見ることに。夜8時に薬が投与されてやっと少し治まりました。付き添っているこちらまでピクピクと震えてきそうで、父もとても辛そうです。昼間、荷物をとりに家に戻ったとき、病院近くの高島城やあちこちの桜が満開でした。六斗川の桜も見事な並木になって咲きほこっています。諏訪もこんな早い時期に満開になったことはありません。
4月 7日(日)
昨日の心配が当たったのか、夕方からけいれんが始まってしまった。右半身が激しく硬直し、手も足もかなりのけいれんなので薬で強制的に眠るようにしました。だんだんいろんな症状が出てきて、いよいよ父の命も細くなってきていることを実感。父は夜になると目が覚めて、幻覚につきあうのに疲れました。今夜は私がそのまま付き添いです。
4月 6日(土)
午前中は母が付き添い、午後から私の当番。父は元気すぎるほど起きていて、まったく寝ようとしない。それどころか幻覚があり、あれこれ見えると言われて困ったしまった。昨日までむくみがひどかったから、目にも影響がでているのかな。元気すぎて後が心配です。
4月 5日(金)
妹の仕事が休みだったので、お昼までは妹が付き添い、午後は私が付き添いました。ちょうど交代したころから父の様子がみるみる良くなって、夕方からはシッカリ目を開けておしゃべりもいっぱいしました。本当に元気になって良かった。 病院は4月になって新人の看護士がうろうろ~してます。父のところにも新人さんが見習いについてきて挨拶をしてました。がんばってね、新人さん。
4月 4日(木)
明日は姪たちの入学式のため、姉夫婦たちは帰らなくてはいけません。医師から現在の病状の説明を受け「とりあえず危機的状況は脱しました」という言葉で少し安心したようです。 父はまだうとうとと寝ている時間が多いですが、酸素の取り込みがだいぶ良くなってきたようです。
4月 3日(水)
朝方になって父の息が少し楽になり、昼にはかなり落ち着きを取り戻しました。まだまだ予断は許さないんだけど、とりあえず「今日、明日」という状況は脱したようで、ひと安心しました。その間にも家のニワトリが脱走するという事件(^^; 駆けつけた義兄たちが逃げ出さないようにネットを張ってくれました。私は妹と夕方まで付き添い。
4月 2日(火)
お昼前に病院で付き添っている姉から電話が入り「父の様態が悪くなった」とのこと。まずは諏訪にいる妹と母が呼ばれたんだけど、ますます悪くなって危篤状態になったので、離れた場所にいる子どもたちも呼ぶように言われました。本日締切の仕事だけ急いで片づけて移動の準備をし諏訪へ。中央道で甲府を通過すると桃のピンクがとてもきれいでした。病院へ駆けつけると「今夜が峠になるかも…」という主治医の言葉。今夜は姉妹で交代で付き添います。
4月 1日(月)
月曜日の4月1日…いかにも新年度の始まりってかんじだけど、私は雑誌の仕事をしてからあまりピンとこない。それどころか『天文ガイド』なんてゴールデンウイークによって締切が早くなるとのこと。きたなぁ、GW進行。ということで、怪鳥さんとともに原稿の打ち合わせ。帰りにラーメン屋さんへ寄ったら、またお腹が痛くなってしまった。2度目だから脂身の浮いている部分のスープは、なるべく飲まないようにしていたんだけどなぁ。あ~ん、眠いのにお腹いた~い。
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