バスの中で6時前に目を覚ますと、東から細い細い月が昇ってきました。広いカナダの広野にクリアーな地平線から月のツノが昇ってくるのはとってもきれいでした。しばらくすると今度は太陽が昇ってきて、月と太陽が東の空で共演していました。8時過ぎにエドモントン空港へ着き10時30分にフライト。空港で待っていると、隣のイスに掛けた地元老人が「どこへいくの?」「何日間いたの?」と話しかけてきました。彼は休みをもらって1カ月フィリピンへ出かけるそうです。私の「Oniy 4days」に比べるとなんと優雅なこと、さすがですね。怪鳥さんが撮ったオーロラ写真を見せてあげると「これは太陽光が凍った湖面に反射して見えるのか?」と質問され、英語で上手に説明してあげることができませんでした。日本語だってむずかしいからなぁ(笑)。バンクーバーに到着すると、なんと帰国便が3時間以上遅れているとのこと。あと5時間どうしよう…ということで怪鳥さんと相談した結果、シャトルバスで市内へ出かけることにしました。
まさかバンクーバー市内を見学するとは思わなかったし、今回は資金もギリギリでカナダガイドブックを買わなかったので、手がかりがわずかなガイドマップのみ。シャトルバス乗り場で教わった場所で降りるとメインストリートを歩きます。お腹がすいたから屋台のホットドック屋をのぞくと「日本人?」と流暢な日本語で話しかけてきました。話し上手の商売上手な屋台の兄さんのホットドックは味もvery good!でした。やがて港に出ると向こうに白いロッキー山脈が見えてきれいでした。バンクーバー市内は黄色い水仙やピンクの桜が咲き乱れなんとソメイヨシノが満開でした。諏訪より春が早いみたい。街はさすがにカナダの玄関だけあった日本人がいっぱいいます。しっかり着込んでいる観光客や、半袖で元気に歩く地元の人などさまざまな姿が行き交います。ダウンタウンからバスで戻る途中の山手は整った住宅街です。どの家も大きくありませんが、ペンションか喫茶店みたいにしゃれた造りで、庭がきれいに手入れされていて日本のせせこましい住宅街とは大違いです。北欧ともちがう美しさがありました。
17:50にようやくフライト。窓から空を見ていると東へ向かうのでいつまでも夕暮れが続きます。
3月30日(木)
昼まで寝ると、午後からダウンタウンへタクシーで出かけました。せっかくカナダに来たのだからカーリング関連グッズを探したのですがなかなかみつかりません。アイスホッケーはいっぱいあるんですが…。まぁ府中で「相撲道具や柔道ビデオはどこに売ってますか」と聞かれても答えられないもんなぁ(笑)。昨晩撮った怪鳥さんの写真を現像に出すときれいに写っていました。目には見えない赤い部分もしっかり写ってうれしかったです。
今夜も22時からバスで移動。もう乗ったときから東の空に激しく出現しています。どんどん濃くなって、現地に着くと天頂から手に届きそうなくらい派手にカーテンが下がってきました。南に30度くらいまでみえ、いま自分がオーロラベルトのまっただ中にいることが実感できます。やがて私たちを取り巻くようにオーロラが降り注ぎ、はっきとコロナオーロラであることがわかりました。昨日唯一見られなかったコロナ状だから、これでとうとうすべての希望が叶いました。上空の赤い色もよくわかりとても感動しました。23時から薄雲が広がりクリアーな部分が少なくなって、オーロラも薄くなってしまいましたが、23時30分に再び濃くなります。まもなく大きく出現すると微妙な移動も始まり、今夜もブレークアップ。このまま見ていたかったのですが、どんどん雲が広がり24時には観測ができなくなりました。しばらくたき火に当たりながら、焼きマシュマロを食べたりソーゼージを食べたりして、1時前に小屋へ入りみんなでオーロラ観測成功の乾杯をしました。
このまま空港へ移動するために、3時にホテルをチェックアウト。長距離バスでエドモントンへ向かいます。寝ていると5時ころ薄明の空に大きなオーロラがカーテン状に下がっていました! こんなに空が明るくて150㎞も南下したのに、まだオーロラが見えるなんてびっくり。最後まで私たちに素敵なショーを見せてくれました。
今夜も22時からバスで移動。もう乗ったときから東の空に激しく出現しています。どんどん濃くなって、現地に着くと天頂から手に届きそうなくらい派手にカーテンが下がってきました。南に30度くらいまでみえ、いま自分がオーロラベルトのまっただ中にいることが実感できます。やがて私たちを取り巻くようにオーロラが降り注ぎ、はっきとコロナオーロラであることがわかりました。昨日唯一見られなかったコロナ状だから、これでとうとうすべての希望が叶いました。上空の赤い色もよくわかりとても感動しました。23時から薄雲が広がりクリアーな部分が少なくなって、オーロラも薄くなってしまいましたが、23時30分に再び濃くなります。まもなく大きく出現すると微妙な移動も始まり、今夜もブレークアップ。このまま見ていたかったのですが、どんどん雲が広がり24時には観測ができなくなりました。しばらくたき火に当たりながら、焼きマシュマロを食べたりソーゼージを食べたりして、1時前に小屋へ入りみんなでオーロラ観測成功の乾杯をしました。
このまま空港へ移動するために、3時にホテルをチェックアウト。長距離バスでエドモントンへ向かいます。寝ていると5時ころ薄明の空に大きなオーロラがカーテン状に下がっていました! こんなに空が明るくて150㎞も南下したのに、まだオーロラが見えるなんてびっくり。最後まで私たちに素敵なショーを見せてくれました。
3月29日(水)
今回は夜に体力を残したいことと、資金がないことから(笑)オプショナルツアーには参加しません。お昼ころゆっくり起きてホテルでブランチをとってから、近所へ散策に出かけました。フォートマクマレーは雪がすっかり消えて、ほこりが舞うほど暖かかったです。現地ガイドも「今年は雪解けが早く、地元では半袖の人もいます」言ってました。
午後からオイルサンドの博物館を見学しました。本当はOPツアーにもあったのですが、偶然にもホテルの真ん前が見学できることが分かり自力で出かけてしまいました。世界一をほこるオイルサンドからどうやって石油を抽出するのか、多くの人々が苦労した歴史と非常に大がかりな道具を使っていることを実感できました。なんと日本語解説ビデオもあって、私たち二人のために上映してくれたのでとてもよくわかりました。部屋に戻るとほこりだらけの体をシャワーでさっぱりさせ、夜に備えて仮眠をとりました。
今夜はちょっと早く22時から観測に出発。バスの窓から東の空を見ていると、なにやら雲のようなものがわき出しています。「雲? 車内の明かりが反射してるの?」と思っていると、どんどん大きくなって緑色に感じます。「オーロラだ!」と分かるとみんなで感激。現地へ着く15分の間にどんどん大きくなって、バスから降りたときには東の空に立派なオーロラが立ち上がっていました。西に向かって手が伸びるようにどんどん成長し、やがて虹のように太いアーク状オーロラがかかりました。23時ころいったん薄くなり消えちゃうかなと思ったのですが、かすかなまま残り続けます。23時30分過ぎに西に波形のオーロラが見えると、どんどん濃くなって24時には地平線に刺すような立ったオーロラが見えました。まもなく北方向にスポットライトのようなオーロラがいくつか見えたと思うと、アッという間にどれもが濃くなりとうとうつながり、見事なカーテン状のオーロラになりました。カーテンの裾は濃い緑で、カーテンレールの部分は筋が入って赤っぽい感じがします。24時30分には東にずっと見えていたキツネの尾のよな白いオーロラとつながり、間の前を巨大なカーテンが広がりました。特に西側はうねる波やたての筋がはっきりわかるものでした。現地ツアーオーナーに言わせると「オーロラ3」(10段階で1が低い)。1時ころになるとアーク状だったオーロラがいったい薄くなり、やがて東側に濃いスポットが現れ、1分もしないうちにカーテン状になりました。また西のカーテンとつながり先ほどより高い50度くらいのアーク状になりました。1時45分にはバスでホテルへ戻るというのでリトルは荷物の整理をしに小屋へ入りましたが、外にいた怪鳥さんによるとやがてアークが薄くなり高さ70度くらいまで空全体に広がったようです。2時にバスへ向かうと「今オーロラが激しく動いているから見てごらん!」というオーナーの声。急いで庭に戻るとなんと空全体に薄雲がかかったようにオーロラが広がり、東上空では虫がはうようにピクピクと筋が動くのです! とっても不気味で神秘的というより気持ち悪いくらいでした。オーナーが言うところの“おばけオーロラ”は、瞬時に空全体に現れたり消えたりする「オーロラ7」。心残りのままホテルへ移動する時間になり、私と怪鳥さんは徒歩25分かけて暗いところ移動し観測続行。5等までしか見えない空なので色まではわかりませんが、オーロラはそのまま激しくブレークアップし続けます。北からは後光が差すようなオーロラ、西・天頂・東・南に不規則に明滅するお化けオーロラ。やがて4時過ぎに薄明になるとオーロラも薄くなり観測を引き上げました。帰路で南を移動する宇宙ステーションを見て、5時ころホテルに戻りました。枕元のドリームキャッチャーのおかげか、念願のはっきりしたオーロラやカーテン状オーロラ、さらには全天を自在に移動するブレークアップまで見ることができました。本当に満足のいく日でした。
午後からオイルサンドの博物館を見学しました。本当はOPツアーにもあったのですが、偶然にもホテルの真ん前が見学できることが分かり自力で出かけてしまいました。世界一をほこるオイルサンドからどうやって石油を抽出するのか、多くの人々が苦労した歴史と非常に大がかりな道具を使っていることを実感できました。なんと日本語解説ビデオもあって、私たち二人のために上映してくれたのでとてもよくわかりました。部屋に戻るとほこりだらけの体をシャワーでさっぱりさせ、夜に備えて仮眠をとりました。
今夜はちょっと早く22時から観測に出発。バスの窓から東の空を見ていると、なにやら雲のようなものがわき出しています。「雲? 車内の明かりが反射してるの?」と思っていると、どんどん大きくなって緑色に感じます。「オーロラだ!」と分かるとみんなで感激。現地へ着く15分の間にどんどん大きくなって、バスから降りたときには東の空に立派なオーロラが立ち上がっていました。西に向かって手が伸びるようにどんどん成長し、やがて虹のように太いアーク状オーロラがかかりました。23時ころいったん薄くなり消えちゃうかなと思ったのですが、かすかなまま残り続けます。23時30分過ぎに西に波形のオーロラが見えると、どんどん濃くなって24時には地平線に刺すような立ったオーロラが見えました。まもなく北方向にスポットライトのようなオーロラがいくつか見えたと思うと、アッという間にどれもが濃くなりとうとうつながり、見事なカーテン状のオーロラになりました。カーテンの裾は濃い緑で、カーテンレールの部分は筋が入って赤っぽい感じがします。24時30分には東にずっと見えていたキツネの尾のよな白いオーロラとつながり、間の前を巨大なカーテンが広がりました。特に西側はうねる波やたての筋がはっきりわかるものでした。現地ツアーオーナーに言わせると「オーロラ3」(10段階で1が低い)。1時ころになるとアーク状だったオーロラがいったい薄くなり、やがて東側に濃いスポットが現れ、1分もしないうちにカーテン状になりました。また西のカーテンとつながり先ほどより高い50度くらいのアーク状になりました。1時45分にはバスでホテルへ戻るというのでリトルは荷物の整理をしに小屋へ入りましたが、外にいた怪鳥さんによるとやがてアークが薄くなり高さ70度くらいまで空全体に広がったようです。2時にバスへ向かうと「今オーロラが激しく動いているから見てごらん!」というオーナーの声。急いで庭に戻るとなんと空全体に薄雲がかかったようにオーロラが広がり、東上空では虫がはうようにピクピクと筋が動くのです! とっても不気味で神秘的というより気持ち悪いくらいでした。オーナーが言うところの“おばけオーロラ”は、瞬時に空全体に現れたり消えたりする「オーロラ7」。心残りのままホテルへ移動する時間になり、私と怪鳥さんは徒歩25分かけて暗いところ移動し観測続行。5等までしか見えない空なので色まではわかりませんが、オーロラはそのまま激しくブレークアップし続けます。北からは後光が差すようなオーロラ、西・天頂・東・南に不規則に明滅するお化けオーロラ。やがて4時過ぎに薄明になるとオーロラも薄くなり観測を引き上げました。帰路で南を移動する宇宙ステーションを見て、5時ころホテルに戻りました。枕元のドリームキャッチャーのおかげか、念願のはっきりしたオーロラやカーテン状オーロラ、さらには全天を自在に移動するブレークアップまで見ることができました。本当に満足のいく日でした。
3月28日(火)
1カ月前のラップランド旅行で吹雪によってはばまれたオーロラをどうしても見たいと思い、カナダのフォートマクマレーへ出かけました。今回の条件は「晴れる所!」「安い所」(笑)。なんと、たった11万円でカナダへ行けました。
そのかわりスケージュールは非常にタイトで、15:55成田集合17:55バンクーバーへフライト。9時間ほどで到着すると、1時間後にはすぐエドモントンへフライト。機上から雪に染まった広大なカナディアンロッキーを眺めながら1時間半ほどで到着。現地時間28日13:45。現地ガイドに案内されながら専用バスでフォートマクマレーへ移動すること5時間半。カナダの広大な風景に目を奪われて楽しむのもつかの間、すっかり疲れて眠り込んでいました。ようやく19時過ぎにホテルに到着すると、ウエルカムディナーで町の案内やオーロラの説明などがありました。
22時30分からさっそくオーロラ観測に出発。バスで15分ほど移動して暗い場所へ行くと、そこは満天の星空! 第一希望の「晴れ」をみごとにクリアーし、北緯56度の高い北極星をみて「高緯度の空」も観賞。沈まないカシオペヤやカペラを眺めて第二希望もOK。あとは「かすかでもオーロラを見る」という希望。現地ツアー会社オーナーから「原住民に伝わるオーロラの呼び方」を教わりみんなで挑戦しました。手と手を合わせて指先を中に折って爪と爪をすりあわせながら口笛を吹く。何度かオーロラをよんであきらめかけた24時、「オーロラが出てるよ!」というオーナーの声に北の空を見るとかすかに緑の雲のようなものが! 「わ~」と喜んで見つめたのもつかの間、すぐにかすんで消えてしまいました。その後1時過ぎまでねばりましたが、とうとうオーロラは現れずホテルへ戻りました。とりあえず私たちは第3希望が叶って、この日は満足しました。リトルと怪鳥はホテル周辺でも空を見ようと裏庭に出て観察し続けました。さきほどの射撃場とはちがって4等までしか見えませんが、それでもカナダ上空を通過する-3等のイリジウムを観測して、今日は第4希望までかないました。
こうして、長い長い第一日目は終わります。原住民に伝わる「ドリームキャッチャー」を枕元に飾って寝ました。これは悪い夢を捕まえて良い夢だけを運んでくれるお守りで、明日からの「派手なオーロラを見たい!」を叶えてくれるかな。
そのかわりスケージュールは非常にタイトで、15:55成田集合17:55バンクーバーへフライト。9時間ほどで到着すると、1時間後にはすぐエドモントンへフライト。機上から雪に染まった広大なカナディアンロッキーを眺めながら1時間半ほどで到着。現地時間28日13:45。現地ガイドに案内されながら専用バスでフォートマクマレーへ移動すること5時間半。カナダの広大な風景に目を奪われて楽しむのもつかの間、すっかり疲れて眠り込んでいました。ようやく19時過ぎにホテルに到着すると、ウエルカムディナーで町の案内やオーロラの説明などがありました。
22時30分からさっそくオーロラ観測に出発。バスで15分ほど移動して暗い場所へ行くと、そこは満天の星空! 第一希望の「晴れ」をみごとにクリアーし、北緯56度の高い北極星をみて「高緯度の空」も観賞。沈まないカシオペヤやカペラを眺めて第二希望もOK。あとは「かすかでもオーロラを見る」という希望。現地ツアー会社オーナーから「原住民に伝わるオーロラの呼び方」を教わりみんなで挑戦しました。手と手を合わせて指先を中に折って爪と爪をすりあわせながら口笛を吹く。何度かオーロラをよんであきらめかけた24時、「オーロラが出てるよ!」というオーナーの声に北の空を見るとかすかに緑の雲のようなものが! 「わ~」と喜んで見つめたのもつかの間、すぐにかすんで消えてしまいました。その後1時過ぎまでねばりましたが、とうとうオーロラは現れずホテルへ戻りました。とりあえず私たちは第3希望が叶って、この日は満足しました。リトルと怪鳥はホテル周辺でも空を見ようと裏庭に出て観察し続けました。さきほどの射撃場とはちがって4等までしか見えませんが、それでもカナダ上空を通過する-3等のイリジウムを観測して、今日は第4希望までかないました。
こうして、長い長い第一日目は終わります。原住民に伝わる「ドリームキャッチャー」を枕元に飾って寝ました。これは悪い夢を捕まえて良い夢だけを運んでくれるお守りで、明日からの「派手なオーロラを見たい!」を叶えてくれるかな。
3月27日(月)
TAMA市民塾の広報誌『たまずさ』の仕上げをしました。半年に一度ボランティアで発行しているこの冊子もみんなの役に立つといいな。インタビューの以来相手を探しているのですがこれがけっこう大変です。やっと決まったのは、振り付け師でダンサーの南流石さんです。彼女のアクティブなダンスは目を引きますよね。
3月26日(日)
FAS定例会と年度末の総会がありました。今回も無事、役員の改選などすんでよかった。もうFASも15年を迎えるんだって。二次会の食事をしたあと外へ出たら、澄んだ夕暮れの空がとてもきれいでした。6時になってもこんなに空が明るいなんて…もう春分も過ぎたんだもんね。
3月25日(土)
「むぎ星」の編集でメンバーが集まりました。門田さんが福岡から出張中で来ていたので、ついでにタイヤ交換もやってもらいました。夕方から五島プラネタリウムの「さだまさし星と音楽の夕べ」を見に行きました。あと1年で閉館してしまうなんてとても残念です。知人の解説員も4月から別のプラネに移ってしまい、もうここで彼の優しい声の生解説が聞けないなんてさみしいな。『流星雨』を聴きながら今まで通ったことをいろいろ思い出しました。「翔べイカロスの翼」上映会実行委員の仲間と夕飯を食べながら長崎のことや外国のことをおしゃべりして楽しかった。
3月24日(金)
TAMA市民塾「半年間で『源氏物語』を読む」の最終回でした。みんなで源氏物語に関する作品を披露したり、感想を話したりしました。私は2月3月が忙しくてなかなか参加できなかったのですが、平安王朝文化を知ることができてともておもしろかったです。読み損ねたところは、またしっかり読んでおかなくちゃ。
3月23日(木)
新しい企画の打ち合わせに行きました。企業のHPの中で安曇野について紹介するのですが、私の大好きな安曇野について書けるなんて嬉しいな。夜はゴーシュの会に行きました。今日の『フランドン農学校の豚』は殺される家畜の豚が主人公で、ちょっと残酷でかわいそうなお話でした。その後のお食事会で焼き肉に行ったのですが、殺生してもありがたく感謝して食べることが大切と美味しくいただきました(笑)。
3月22日(水)
伝統文化の原稿を仕上げました。取材でいただいた張り子の虎を見ながら、取材で優しくしていただいた楠田さんを思い出しながら書きました。虎の首がゆらんゆらんと揺れる様子がユーモラスで、見ていても飽きません。
3月21日(火)
TAMA市民塾広報誌「たまずさ」の編集に行きました。本当は3月に発行したかったのですが、私が忙しくてなかなか進んでいません。困った…。なんとか4月始めには出さなくちゃ。 留守にしていた間のメールチェックやその返事などで忙しく、また昨日までのカーリングで疲れてしまい原稿がはかどらないまま寝てしまいました。
3月20日(祝)
春分の日を迎えるたびに「地下鉄サリン事件」を思いだし、当時そのニュースを怪鳥さんと諏訪で聞いたことも思い出します。 大会最終日は予選の残り1試合がありました。同じペンションに泊まったMju(ミュー)さんはオリンパスのクラブで、初めて数ヶ月といいながらも時折素晴らしいショットが決まりハラハラしました。結局その試合に勝ち決勝トーナメントに進むことができました! 師匠である強豪チームにあたり負けてしまいましたが、「上手くなった」とほめていただきうれしかったです。昨年の試合に比べると目標以上に頑張れたと思います。これでリトルと怪鳥のカーリングシーズンも終わり。
3月19日(日)
大会2日目。2試合とも同点で(実際は女性参加数のハンデにより、相手に1点あげているので実得点では勝っている)ドロー合戦で勝敗を決めました。最初の相手には勝って、次の相手には負けてしまいました。軽井沢に滞在中は「ペンションあいあい」に泊まります。奥様がカーリングファンでご主人が天文ファンという親しみやすいペンションです。今回は他のチームの方も泊まっていて、夜はカーリング談義で盛り上がりました。同じ趣味の人たちと話ができるのは楽しいね。
3月18日(土)
軽井沢ミックスオープンカーリング大会に出場するために朝から移動。ところが下諏訪町から長門町にぬける和田峠で突然パンクしてしまいました。たしかに何年もはいて劣化したスタッドレスタイヤですが直接の原因が分からないままとにかくJAFでタイヤ交換。このまま軽井沢に行くには不安なので諏訪に戻り急いでタイヤを買って付け替えました。結局3時間遅れで到着しなんとか試合に間に合いました。結果は1勝1敗、身内(おなじCASメンバー)に勝って、地元軽井沢の強豪チームに大敗。レセプションはいつものように盛り上がり、今年はそろいのユニフォームも作り「コスチューム賞」をいただきました。
3月17日(金)
昨日あんなに降った雪も今日の陽ざしですっかりとけてしまいました。裏山の畑は土が黒くなって、土手ではオオイヌノフグリが咲いています。風にはまだ冬の冷たさが残っていますが陽ざしは確実に強くなり、まさに私の大好きな“春先”です。やっぱり信州の春先はいいな!東京にはない季節です。 夜空もきれいで木星・土星の下に火星も見えました。満月近くの大きな月もきれい。
3月16日(木)
朝から大雪が降っています。諏訪は東京と同じように毎年3月ごろ、低気圧前線の北側でよく大雪が降ります。これを「上雪(かみゆき)」と言って春の訪れとします。天気予報でも「長野県内ではこの時期ならではの大雪が降っています」と言っていました。 母の目は雑菌が進入することもなく、今のところ順調のようです。以前より見やすくなったと母も満足していてうれしいです。
3月15日(水)
確定申告に行きました。家で記入して提出するだけだから渡してハイおしまし。速いね! 明日、実家の母が退院するので家事をするために夜のうちに諏訪に移動しました。今回はそのまま軽井沢に移動してカーリングの大会にも出るので、荷物がたくさんあります。やらなきゃいけない仕事もあるから、パソコン(それも2台)はもちろんプリンターまで持っていきます。どこでもオフィス化するリトルです。
3月14日(火)
大学生の義従兄弟が昨日から来ています。彼はいつも週末に来ることが多くて私たちの外出と重なってしまうのですが、今回は平日で余裕があったから久しぶりにいろいろおしゃべりしました。『日本ときめき歴史館』の最終回は「あなたが選ぶ日本史10大事件」。1位は太平洋戦争だったけどあれは日中戦争や満州事変で日本が侵略した歴史の上にあるもので「15年戦争」とでもいうべきでは。 実家の母が白内障の手術をしました。糖尿病から併発した症状で心配していましたが、無事に終わったようで安心しました。
3月13日(月)
『PC Life』の取材で大阪へ行きました。新幹線を使っての出張取材は初めてです。1軒目の取材先である学校は梅田から1時間30分も移動した河内長野でした。その後守口市まで戻り張り子の虎を作る職人さんの話を聞きました。ご夫婦とも電話の印象どおりとても優しい方で張り子の話もおもしろかったです。最終1本前の新幹線で東京に戻ったら中央線は毎度のことながら人身事故で遅れていて、府中の自宅に着いたときは深夜1時過ぎでした。久しぶりの大阪は怪鳥さんと結婚2カ月で出かけて以来で懐かしかったです。お土産は阪神ファンの義父と怪鳥さんへこんなもの(笑)。
3月12日(日)
「伝統文化を継承する」の取材先を探しています。先日声をかけた1軒は過去に取材で懲りたことがあったらしく断られてしまいました。実は明日大阪に出張取材に行くことがあるので、ついでに上方文化を取材したいと思っていたのです。時間的にもう運無理かなとあきらめつつ電話したところ、別の方が快く了承してくれました。大阪弁の電話の声がTVで聞く関西弁より優しくて、東京の言葉より心地よく響きました。大阪の言葉も地区によってかなりちがうね。 F-1開幕、フィンランドにちなんでハッキネンを応援したけどだめでした。サッカーはFC東京が昨日勝ってちょっとうれしかった。
3月10日(金)
月が木星と土星のあいだに入って、昨日よりせまい範囲で寄りそうように光っています。掩蔽があって怪鳥さんと潜入だけ確認したけど、その瞬間に薄雲が近づき見にくくなりました。義妹夫婦が遊びに来たのでフィンランド写真を見せながらお土産を渡しました。 TAMA市民塾『源氏物語を半年で読む』の日でしたが、ちょっと原稿に追われて疲れているので休んじゃった。
3月 9日(木)
中学生向けwebの原稿を作っています。ホワイトデーって福岡にある和菓子屋『石村萬盛堂』が、マシュマロを3月14日にバレンタインデーのお返しにと売り出したのが始まりだそうです。たしかに小学生のころは「バレンタインの返事がOKの時はマシュマロ、NOのときはキャンディ(?)」とか言われたよね。なぜマシュマロなのかは、石村萬盛堂が見た女性誌の投稿(なぜバレンタインのお礼がないか)にマシュマロのイラストがそえてあったからなんだって。 三日月と木星と土星が並んできれいです。
3月 8日(水)
取材に行くために9時半ころ起きるとTVでは日比谷線の脱線事故をニュースが流れていました。刻々とわかっていく状況にハラハラします。それにしても各TV局とも事故車両に乗り合わせていた社員や関係者がいて報告しているんですよね。 スカイウオッチャーの取材で立川のエコ倶楽部に行きました。印刷会社の会長が趣味で作ったビルには屋上に望遠鏡があってとってもバブリー。
3月 7日(火)
とても暖かな一日でした。洗濯が順調に乾いて助かります。一方、仕事はそろそろ本格的にすすめないといけないのに、まだ体がなまっているみたいではかどりません。夕方電話が入り急きょ明日の取材が決まりました。さ、がんばろ!
3月 6日(月)
二人でゆっくり昼食をとり、昨日出した写真を受け取りに行きました。写真の中でもしっかり雪は降っています(笑)。夜になって両親が帰宅しました。おみやげの「萩の月」を食べながら父が撮ったビデオを見ましたが、その雪質は硬そうであらためてフィンランドのサラサラ雪を思い出してしまった。
3月 5日(日)
午前10時成田に到着。帰路はたった8時間50分ほどでした。東京は暖かい! ほんの14時間くらい前までサーリセルカのバス待ちで吹雪にふかれていたなんて信じられないほどです。 先日亡くなった知人の東京での法事が行われていましたが帰国直後につき残念ながら参加できませんでした。あらためて府中から冥福を祈ります。 昼過ぎに帰宅した我が家は昨晩から両親が親戚と蔵王に出かけていました。というわけで、明日夜まで怪鳥さんと二人きりです。広い部屋にスーツケースの荷物を広げてのんびりと片づけです。
3月 4日(土)
朝食をとり急いで荷物をまとめてチェックアウト。10:45の空港バスに乗るためにホテル前のバス停で5分前からスーツケースを持って待っていたのですが、猛烈な吹雪のなかで帰国用の軽装は非常に寒かった! 15分待ってやっとバスが来たときには遭難者が救助隊を見つけたような気分でした。この日はあまりの悪天にサーリセルカのスキー場も閉鎖したほどだったのです。イバロ空港でも飛行機は1時間30分遅れ、ヘルシンキ空港での乗り継ぎがギリギリでした。 結局オーロラは見られず雪に降りこめられたフィンランドでしたが、ラップランドの自然やフィンランド人の優しい人柄など、とても印象に残った旅でした。サーメ人の文化や伝統的な衣装やトナカイなど、あらためてフィンランドが大好きになりました。これで夜に晴れれば文句なかったんだけどなぁ…(笑)。
3月 3日(金)
今夜が最後のサーリセルカ滞在の夜です。だから雪でもオーロラ観測小屋で一晩過ごしてみようと昼から体力温存モード。のんびりと最後の街の散策に出かけ、すっかり馴染みになったインフォメーションで昼食をとりました。高緯度らしい低い太陽が薄日をさすなか不思議な光景を見ました。太陽のすぐ上にエビ反りのようになった虹がかかったのです。2日ほど前はダイヤモンドダストのように結晶化した雪が降るなか、太陽の周りに大きな暈を見ましたが、今日の逆虹は太陽と同じ方向で、しかも普通の虹と反対に反った弧を描いているのです。怪鳥さんが子供のころに一度だけ見たことがあり、やっぱりこういう逆虹がかかるんだ!って感激していました。ゆっくりラップランドの風景を楽しんだ後、早めに部屋へ戻るとサウナに行きました。フィンランド式サウナは焼いた石に水をかけて白樺の葉っぱで体を軽くたたきます。日本の乾燥したサウナとちがいとても気持ちよかったです。早めに夕食をとりさっそく観測小屋へ移動。八角形の小屋の真ん中に薪ストーブがあってその周りにグラスに入ったキャンドルをともします。壁づたいにベンチがありトナカイ皮が敷き詰められていて暖かかったです。8時ころから30分ごとに外へ出て空の観測。雪が激しく降ったり、ときおりムラのある雲が行き交ったり、強風が吹いたり…。でも結局雪がやんで晴れることはなく雲が覆ったままでした。朝5時、薄明になったのを機に観測小屋を引き上げて部屋へ戻りました。本当に残念だけど、一晩中空を見上げて薪を焚いてトナカイの皮の上で仮眠をとって、フィンランドらしい経験ができました。
3月 2日(木)
午前中はお土産を買いに街を歩きました。小さなリゾート村なのでたいしたお土産はありませんが、普通のスーパーでおもしろそうな物を物色して楽しかったです。午後から「サーメ博物館」の見学ツアーに出かけました。最も多くのサーメ人が住んでいたイナリ湖畔まで50分ほどタクシーで移動しましたが、その間にいくつもの凍った湖を通ったり、放牧されたトナカイの集団を見たり、それをフィンランド女性の運転手さんとカタコト英語で教わったりして楽しかったです。博物館は野外に移築された多くのコタが雪に埋もれていて、その中を泳ぐように進んで見てきました。館の中の資料は英語解説を読みましたがなかなか興味深かったです。彼らはノルウェー・スウェーデン・フィンランドそしてロシアという広いラップランド地方を、トナカイと共に移動しながら暮らしていたんだね。夜は村一番の高級レストランでライチョウ料理を食べました。山鳥らしくしまった味でした。ちなみにライチョウって長野県の県鳥で特別天然記念物なんだよね(笑)。今夜も何度も起きて空を見上げましたが、やっぱり空は晴れません。
3月 1日(水)
たいぶ体調も落ち着き夜のオーロラ観測もできないから、体力があまっています。ホテルのソリを借りて遊びに出かけました。フィンランドの雪はさらさらでまさにパウダースノー。あんまり気持ちいいから転げ回って遊んでしまった。午後からトナカイぞりツアーに参加しました。ラップランドらしい雪景色の中をサーメ人の先導でトナカイが進みます。帰路は自分で手綱をもってあやつりました。トナカイって道草ならぬ道雪を食べて遊んでしまいます。もどってからはコタ(サーメ人の小屋)のなかでドリンクを飲んだりトナカイに餌をあげたりしました。トナカイはおとなしい動物ですが、立派なツノを持っているのでふいに振り向かれるとあわてます。サーリセルカ3日目の夜も雪はやみません。
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