5月31日(月)

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 15時過ぎ、予定どおり成田に到着。

 かどっちもお義父さんもいろいろで、お迎えに来てもらうのは無理そうだったので、リムジンバス+タクシーで自宅へ到着。

 今回も無事、事故もケガもロストバゲージもなく帰宅できて良かったです。
「家に帰り着くまでが遠足」みたいに、自分も荷物も無事に家に着くまでが旅行……ですからね。

 写真は、サンフランシスコの夜撮影した「ゴールデンゲートブリッジの上に輝く金星」。
「サグラダ・ファミリアと金星」よりは、わかりやすいかな。

5月30日(日)

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 12時の飛行機に乗るので、それまで朝のお散歩。

 ホテルから海まで行き、アルカトラズ島を見る(写真:上段の左)。
たしかに、軍艦みたいな形をしている。時間がたっぷりあれば、フェリーで渡って刑務所だった様子(博物館)を見るのもいいでしょうね。

 同じ理由でゴールデンゲートブリッジも渡るひまはありませんでしたが、海からよく見えました(写真:下段の左)。
渚では親子連れなど遊んでいて“霧に煙って”はいませんでした(笑)。

 そんな感じで朝のサンフランシスコを楽しんだら、8時半ころチェックアウトして、来たときと同じようにシャトルバンで飛行場へ行く。
(写真:上段の中央、フィッシャーマンズワーフの看板。
上段の右、AT&Tパーク。
下段の中央、高級住宅街であるノブヒルから見下ろすサンフランシスコ湾
下段の右、ダックツアーの水陸両用車)

 ほぼ、順調に出国手続きが済み、12時10分にアメリカを離れる。
これから11時間の長い「二日間」がスタートします。

5月29日(土)

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 朝6時45分、ホテルをチェックアウト。
 デンバー空港へ向かうシャトルバンが来て数人で乗り込む。ブルーリバー沿いに道を下り、いよいよブリケンリッジともお別れ。
まもなく、ディロン貯水池に到着。ここで、別の別荘地からの乗客三人と合流。10人ほどになり、一路デンバー空港へ向かう。

 ドライバーさんが周辺のことをガイドしてくれた。すべてが聞き取れたわけじゃないけど、ロッキー山脈のことや鉄道のことを説明してくれた。
 一週間前に来るときは(飛行機移動後の疲れですっかり眠っていたから)全然気づかなかったけど、谷の向こうにジョージタウン・ループ鉄道があった。ときおり谷間に鉄橋が見えて興味深かった。いかにも、開拓時代を思わせる(私も「デンバーの近くへ行く」聞いたときは、ドラマで見た鉄道のことなど思い出した)。きっと鉄道好きの人なら、いろんなコロラド鉄道に乗って見たいと思うんだろうね。

 ところで、ブルーリバーの水はやがてコロラド川になると聞いていたのでずっと眺めていたが、ディロン貯水池から先が分からなくなってしまった。一カ所だけ湿地のようなところがあり「流れ込んでるのかな?流れ出ているのかな?」と思いつつ脇を抜けた。やがてトンネルになり、出口からは下り坂で、脇に細い川があった。この川は結局デンバーに向かったので、そのままならメキシコ湾に流れ出てしまう。
 後で調べると、やっぱりブルーリバー(やその周辺から流れ込んだ小川は)貯水池の湿地のような所から北に流れて行って、クレムリンクの町でコロラド川に合流した。さらにあれこれ調べると、車で通過したトンネルの上部(山頂)が分水嶺になっているらいしい。つまり、ブリケンリッジのあったサミット地区はアメリカ大陸分水嶺の一つだったのだ。
リトルの生まれ育った諏訪周辺にも分水嶺はあるけれ、さすがに大陸の水の別れ目にはワクワクする。(左の写真がはトンネル手前の山の風景。あのあたりが分水嶺かなー。コロラド州の車のナンバープレートはロッキー山脈がデザインされています)
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 2時間ほどでデンバー空港に到着。いそいでブランチを食べて、11時24分発の飛行機に乗り、1時過ぎにサンフランシスコ空港に着陸。

 シャトルバンを拾って、予約してあるフィッシャーマンズワーフ近くのホテルへ行く。途中でサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地である「AT&Tパーク」の前を通過した。

 ホテルに着くと急いで荷物を置いて、町へ出る。観光する時間はこの半日と明日の朝しかないからね。
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 一番のお目当ては、やっぱりケーブルカー!
 ホテルから歩いて「サンフランシスコ海事国立史跡公園」へ行く。ここはケーブルカーの発着地になっていて、ターンテーブルを使って人力で転車が行われる。乗車待ちの人と転車見物の人で大賑わいだった(写真:下段の右)。

 大混雑だったので、ひとまずMUNIメトロ(写真:下段の左)に乗ってダウンタウンへ行くことにした。
ちょうどホテルの前を通るFラインは海岸通りを走る路線で、路面電車らしい趣きが唯一残るライトレールです。

 途中で乗り換えて、比較的すいている経路のケーブルカーに乗る。車両の真ん中に大きなレバーがあって(写真:下段の中央、茶色の男性が全身の力を込めて操作)スタートやストップのときにケーブルをグリップさせます。
 その仕組みは後で訪ねた「ケーブルカー博物館」(写真:中段の3枚)でわかりました。

 博物館は複数ある経路のクロスする場所にあり、ここにいると慌ただしいくらいケーブルカーが通過していきます(写真:中段の左、茶色の建物が博物館で左右から白いケーブルカーが来ている)。
 入口の扉(写真:中段の中央)を押すと大きな機械音がして、階段が上下にありました。昇っていくと展示物やお土産コーナーが脇にあり、真ん中は工場で大きな4本の歯車がグルグル回っていました(写真:中段の右)。実はこの博物館はケーブルカーの運転工場で、モーターが巨大歯車を回しケーブルを動かしていたのです。だから、この建物のすぐ横をケーブルカーが走っていて当然(^^) 見学していたら途中で1本の歯車が止まって、係員がケーブルの点検をしていました。このケーブルがあの車両の動力になっていると思うと、本当に重要な場所だと実感します。階段を下りると、斜めになった車輪が回っていて、ケーブルの向きを変えていた。

 ふたたびケーブルカーの乗って、あちこち巡ってみました。サンフランシスコの道の下に博物館(工場)で見たケーブルがグングン動いていると思うと、とても不思議な気がします。そんなケーブルが必要な理由も、急勾配の坂(写真:上段の中央)を見れば納得です(笑)。こんな坂があちこちに無数にあってびっくり! てっきり、町の真ん中が丘になっているのかと思ったら、あちこちに山と谷があるという方が正しくて、下ったと思ったらまた上るというジェットコースター並みのアップダウンだった。

 そんな坂道にある交差点は平らになっていて停車場があり、乗客はバラバラと乗り降りをする。あんなに適当に乗ったり降りたりしてよく事故にならないなぁ~と感心しちゃうくらい。
 そんなことを考えながら乗っていたら、突然ウエディングドレスとタキシード姿のカップルがやってきて、交差点の真ん中で坂道をバックに記念写真!?をしていた(写真:上段の左)。美男美女だったからモデルさん?? 交通整理も何もなく、車とケーブルカーの途絶えている間パッとやってきて、サッと撮っていった;v)
 そういえばこの日は、最初に見たケーブルカー発着所で「ウエディング・ケーブルカー」がやってきて、新郎新婦と参列者たちがドレスアップして乗り込んでいたし、街中では大きな白いリムジン車に乗った若者たちが「Happy Wedding!」なんて叫びながらノリノリで乾杯をしていた。もうすぐジューンブライドだから?

 一日乗車券を買った我々は、適当な場所でケーブルカーの撮影などしながら乗ったり降りたりして遊ぶ。
 空いている車両があり乗ったら「そのまま立ち乗りしなよ」とドライバーに言われ、怪鳥さんはステップ乗車にチャレンジ!(写真:上段の右)。歩道のすぐ近くを走ることもあり、観光者からも写真を撮られたりしたらしいです(笑)。
 私はしばらくシートに座り写真撮影などしてましたが、バーがあいていたので思い切って怪鳥さんの隣に行き、リトルもステップ乗車!!:P 振り落とされないように両手でしっかりバーを握りしめていたけど急坂を下るときにはハラハラ。もう遊園地のアトラクション以上の大興奮。坂の上から海に向かって、まるでスキーのジャンパーになって空を飛んでいるよう。
 町が暗くなるまで、思った以上にケーブルカーで遊んじゃった♪

 夜は、フィッシャーマンズワーフでクラムチャウダーを食べて、海事国立史跡公園からゴールデンゲートブリッジの上に輝く金星を撮影してホテルに帰った。

 予想以上に、サンフランシスコを満喫した半日でした。

5月28日(金)

 怪鳥さんたちはお昼前で学会が終了。おつかれさまでした。
みなんさんで、ランチを食べに行く。本日は野外のテラス席で、台湾メニューを食べました。
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 今回はこれで、皆さん解散。帰国するために夕方ホテルをたつ人や、明日の早朝の飛行に乗る人など、いろいろなルートで日本へ帰っていきます。我々は「飛行機を安くするために」もうちょっと遅くまでアメリカにいるのです。
 とりあえず、午後はゆっくりと怪鳥さんのお土産を買ったり、二人で街を散策したり。

 写真は、町の消防署。
 左上が、開拓当時の消防署でミニ博物館になっている。「レッド・ホワイト・ブルー」というのが当時の消防署のことで、現在(右下)も同じ配色とデザインの看板が掲げられている。
 男性は博物館を案内してくれた、現役の消防士さんです。当時の消防車(右上)の造りを説明してくれたり、合図のラッパを吹くポーズ(左下)をとってくれたりました。とても親切でカッコイイ消防士さんでした。
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 遅くならないうちにホテルへ戻り、残った食料をすべて出して最後の晩餐(笑)
明朝早くに出発するというW先生を部屋に招いて、いっしょに夕飯を食べました。

 この部屋で過ごすのも最後だと思うと、ちょっと寂しい気もします。すっかりここで暮らしていた気分だからね。窓から見える山の残雪も、この一週間でかなり少なくなり「雪解けが進んで春(夏)になっていくんだなぁ」と実感。
 部屋の窓から見下ろす道(写真・左)を何度も乗ったFree rideバスが通過すると、「あちこちに運んでくれてありがとう」とお別れを告げる。
 ちなみに、右の写真は昨日泳いだ室内プール。右端に映っているのが、毎回通った渡り廊下の通路。よくみると怪鳥さんが立ってます(笑)。

5月27日(木)

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 今日は天気もいいので、ハイキングに行くことにした。といっても、本格的に山へ入るにはガイドがいないと(道も動物も分からず)心配だから、ホテルの裏から続く小川に沿ってトレイルを歩くという簡単なもの。

 軽食と飲み物をリュックサックに入れて、紫外線よけに帽子をかぶってサングラスをして、いざ出発!
(上段の左)小さな湖へ注ぐ川から上流を見上げると、遙か遠くに白いロッキー山脈が見える。もちろん、あそこまで行きませんけどね。青空と白い山と小川の音が気持ちよくて、思わず歌を歌って歩き始めます。
(上段の右)しばらく行くと、川幅が狭くなって、ときどき橋が渡っていて、右岸と左岸を行ったり来たり。周りは針葉樹林です。
(下段の左)日当たりの良い場所には、ネコヤナギが花を咲かせていました。信州の3月みたいです。
(下段の真ん中)実は、この写真だけ別の場所なのですが「自然シリーズ」ということで。町中の廃屋にいた狐。
(下段の右)美しい小さな紫の花。茎や葉にびっしり産毛が生えてて、なんだか賢治の童話に出てくる「うずのしゅげ」(おきなぐさ)みたい、と思って撮影しました。帰国後調べたら、それであっている「西洋オキナグサ(プルサティラ)」ようです♪
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 かなり上流まで歩き、いよいよ道が怪しくなってきたので、軽食をとって引き返すことにしました。
同じ道を歩くのもつまらないから、とちょっと広い道へ出てみたら、Free rideバスの通る道でした。どうやら、別荘地にたどり着いちゃったみたいです。
 ブリケンリッジの街にはFree rideバスが数ルート走っていて、誰でも無料で乗れるのでとても便利です(写真は、町歩きのときバス停で撮影したもの)。というわけで、疲れ果てた私は、お菓子とジュースで休憩しながらバスが来るのを待って(このルートは30分に一本だった)ホテルへ一直線に帰ることができました。

 ホテルに戻ると、水着に着替えてスパへ。私たちの部屋の四号棟からスカイウォークを使って三号棟へ行く途中、室内&室外プール&プールサイドバーがあってよくお客さんが泳いでいるのを見たので、本日私もチャレンジ。
 ちょうど誰もいなくて(午後4時の暇なときだもんね)ゆっくりのんびりスイミング。

 6時ごろ学会の終わった怪鳥さんが部屋に戻ってきて、みなさんと夕飯を食べに街へ出かけることになりました。
 今日はメーンストリートにあるイタリアン。怪鳥さんが「みんなで食べましょう」とオーダーしたピザが、50cm四方があろうかという超大型でびっくり! アメリカ人は、これ何人で食べるんでしょう(゚o゚)

5月26日(水)

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 怪鳥さんが学会に出席している間、私はひとりでブリケンリッジの街を散策。

 まずインフォメーションで地図をもらい、今も残る歴史的な開拓時代の家などを見て回った。・・・といっても、1800年代のものなんだけどね。
 小さな田舎のリゾート地は、一日で隅々まで歩くとちょうどいいくらい。

 写真はすべてこの町ができた当時から残っている(保存されている)建物です。
上段の左から、教会・学校・開拓民の集まっていたところ。
2段目はすべて開拓者の家。室内には当時の家財道具など展示され、ミニ博物館になっている。
下段の左から、開拓者の家→一代前のインフォメーション、開拓者の家へ続く道、馬車。

 そしたら、写真のような機関車を見つけました!
 今はもう廃線になっているのですが、かつてはこの高地(9600フィートつまり約3000m!)に鉄道を走らせていたのです。写真を見てもわかるように、先頭部は雪を砕いて避けるドリル状のものがついています。(まるでトンネルを掘る専用車みたい)
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 そんなふうに、一日歩き回ってホテルの部屋に戻ってテレビをつけたら「コロラド州で大きな竜巻とヒョウによる嵐」と言っていた。数日前に降りたデンバー空港も暗雲に包まれていてびっくり。

 夜は懇親会があり、私も食事代を払って参加させていただいた。同じテーブルにはロシア圏のさまざまな国からきた天文学者さんがいて、ウクライナ・タジキスタン・アゼルバイジャンそしてモスクワのいろいろな事をうかがってとても興味深かった。

5月25日(火)

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 滞在中のBreckenridge(ブリケンリッジ)のホテルからパソコンをつないでみました。
 こちらは、ただいま25日(火)午前11時だけど、このパソコンの時刻表示は26日の2時になっています。ってことで、滞在中の内容は現地時間で書いていきますねん♪

 写真はこの部屋のリビングスペース。窓と暖炉が同じ壁になります。右半分にソファーがあって、左側にテービル&チェア。
 これと同じくらいの広さの「バス+キッチン+トイレ&パウダールーム」、「寝室+クロゼット」があり、日本だったら“けっこう立派なマンション”てかんじ(笑)。

 その窓(ベランダ)からの風景が、下の写真です。よく見るといろいろ撮ってます(笑)。
青空に映える白いロッキー・手前の緑の林・その手前にホテルから伸びるリフト・茶色の建物がホテルのメインビルディング・この写真では切れてしまってるけど左側に渡り廊下(スカイウォーク)・右端にホテルのプール。こんな所です。
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 この日は、私もW先生など日本人の方々の発表を拝聴しにいきました。

 夜は、そんな日本人参加者の皆さんと一緒にレストランへ出かけた。Taipei-Tokyoという名前の店(笑)だったけど、味は「中華料理にハズレなし」って感じ。学会には日本各地から参加者が来るから、こういう時の方がお会いできる。

5月24日(月)

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 この学会は「メテオロイド」という、流星に関する研究発表。怪鳥さんはオリオン座流星群について発表した。
 オリオン座流星群といえば、昨秋は日本で突然ブームのように話題になったなぁ。そう思うと、怪鳥さんの計算によって多くの人がオリオン座流星群を見たり話題にして楽しむことができたのだから良かったね。

 この日は天候があまり良くなくて、午前中に一時、吹雪になった!
場所柄ありえるとわかっていても、ビックリする。

 夜は、ポスターセッションとレセプションが行われた。
怪鳥さんは国立天文台のキャンペーンチームとして、日本でのキャンペーン活動の紹介とその報告数がサイエンス的にもある程度の価値があることをまとめた。
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 向かい側に展示されたポスターには、なんと小さなモニターが取り付けられて動画が映っていた。そっか、薄くて小型のモニターを使えば、流星(火球)や流星痕などの変化(移動)を紹介しやすいんだ。

 夜は、部屋の暖炉に火を点けてみた。
乾燥しているから薪がドンドン燃えて、火の手も赤々と上がり、見ているとなごむ。今日のようなちょっと寒い日は、気持ちがいいね。

5月23日(日)

 学会は明日からなので、今日は怪鳥さんと二人で街まで買い物に出かけた。(写真は、メインストリートからそれた細い路地)
 こんな田舎町でも、やっぱりシティーマーケットは何もかもBIGサイズ。しかも、美味しそうなハムやチーズを計り売りしてもらうと、単位はポンド。1ポンドのハムって食べきれるのかイメージできないよ(笑)。ってことで、他の人が買った1ポンドの量を見て、自分たちは「クウォーター・ポンド」注文しました(^^;

 マーケットの買い物としては日本と大差ない(珍しい物ばかり並んでいるわけでなはない)から、日本で買い出しに来たのと同じ感覚。そういう意味では、韓国の釜山が一番おもしろかった。個性的なスープがいろいろあって、そのどれもが美味しかった。
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 買い物のついでに、二人で街をぶらぶら歩いてみた。細長い街の真ん中にブルーリバーが流れていて(正確に言うと、この川が開いた周りに街ができた)、遊歩道が整備されて大きな犬を連れた半袖の大人達が散歩したり、広場で子ども連れが遊んでいたりとってものどか。

 マーケットで買った食材を使って、遅い昼食&早い夕飯を食べる。
 このホテルはスキーヤーなどによる長期滞在型リゾートなので、スイートルームでなくてもキッチン・リビング・食卓・暖炉・ジェットバスルーム・寝室があって、二人で使ってもとても広い♪ こういうときだけは、アメリカ人がビッグサイズ好きなのが嬉しい(笑)

 というわけで、電気コンロで湯を沸かし紅茶を入れ(コーヒーメイカーもある)、ソーセージや卵を焼き、美味しいチーズでパンを頬ばりながら、マーケットで買ったサッポロ一番をスープ代わりに食べる(笑)。これを食べる箸がほしくて、ついでにいなり寿司も買う。こんな所でも日本食は売っています(現地の人が日本食好きなのか、日本人スキーヤーが多いのかは不明)。

 夜は、明日の学会発表にそなえて、怪鳥さんは最後の追い込み&スピーチレッスン。
いよいよ本番だね-。明日は私も見学&写真係として同行させてもらいますね。

 Breckenridge(ブリケンリッジ)は、4つのアメリカ時間帯のなかで山岳部時間(マウンテンタイム)で日本からは-16時間。サマータイムのせいかなのかなかなか日が暮れず(現地新聞の日没時間は夜8時20分)、遅くまで高い山の山頂だけ陽が当たって輝いている。ちなみに日の出時間は5時40分。部屋の大きな窓から見える山から昇ってきます。

5月22日(土)

 昼のバスで成田に移動、2時過ぎに順調に到着。
午後5時出発の飛行機でサンフランシスコへ。長い長い土曜日の始まりです。

 約9時間のフライトで到着すると、いつものように入国審査を受ける。審査員は怪鳥さんのパスポートを見るとなごやかに話しながらも「部室へ」とうながされてしまった。一昨年のハワイの時もそうだった。
よくよく話を聞くと、どうやら新婚旅行でペルーへ行ったときシアトルでおこなった入国がそのまま(つまり出国していない)らしい。たしかにあのときは乗り継ぎがバタバタして「荷物は?」「手続きは?」って感じで慌ただしかったからなぁ。私は大丈夫なんだけど、どうも怪鳥さん履歴だけ抜けがあるみたい。ほかの国では二人とも全く問題なかったのに。今後もアメリカ入国の度に説明しなくてはいけないのか!?
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 そんなこんなでなんとか入国すると、2時間後にデンバーへ出発。窓際の席にしたので、眼下に見える町並みや砂漠、雪をかぶったロッキー山脈を眺めていたら、あっという間に到着。
 あとはホテルへの移動だけ・・・と思ったら、デンバー空港がやたらデカイ! 到着ブリッジからコンコースに着いたと思ったら(コンコースが3つもある)無人地下鉄でターミナルまで移動しなくてはいけい。20番まであるようなバッゲージクレームエリアで荷物を拾い、現地の午後5時にやっと乗合送迎バスに乗った。
 空港を出て振り返ると、デンバー空港はロッキー山脈のように山形になった白いファブリックルーフがきれいだった。でも、ここからロッキー山脈はもちろんデンバーの街もまったく見えない。ただただ広大な荒野(にしかみえない土地。たぶん空港関連地やはてしない駐車場)があるだけだった。さすが、アメリカ最大の空港(世界でも最も大きい空港の一つ)といわれるわけだ。

 やがて30分ほど走るとビルディングの建つデンバーが見えてきた。でも、目的地のBreckenridgeはまだまだ先。30分程うとうとして目が覚めると、目の前に真っ白な雪山が迫っていた。ちょっと感動~。
さらに、30分ほど走ると最初の乗客の目的地に到着。彼は別荘の前で降りていった。さらに、次の客、次の客とみな別荘族なのね。最後に我々二人が残り「あと10マイルだ」と言って、合計2時間走ってホテルに到着した。

 チェックインの手続きをして、一息ついて、今夜の夕飯について考える。疲れているからホテル内のレストランで食べようと思ったら、店が閉まっていた。学会メンバーより一日早く入ったから宿泊客が少ないしたし、何よりもウインターシーズンとサマーシーズンの狭間の閑散期。しかたなく、街まで歩いていったけど時間も遅くなりなかなか営業していなくて、やっと入った店が有りがたかった。店員さんも気持ちの良い接客で、お腹もいっぱいになりちょっと元気が出てきた。

 しかし、夜10時のロッキー山脈の麓は寒い! 暖かい服もいろいろ持ってきたけど、スーツケースを開けるのが面倒で食事に出たから、部屋に帰り付いたときにはすっかり冷えてしまった。あー、疲れた。おやすみなさい・・・でも、時差ボケなのか疲れ過ぎなのかうまく寝付けない。

5月21日(金)

 すっかり更新が滞ってますが、そんな慌ただしいなか、明日から怪鳥さんにお供してアメリカ・コロラド州(デンバーの近く)へ行ってきます。
 怪鳥さんはただいま学会発表用のポスター制作など最終作業をしており、リトルは暑さのなか荷造りに追われてます。

 なんだかんだで、帰国予定は5月31日。約10日分の衣類を引っ張り出し、現地は標高2000メートル以上という高地で防寒用のフリースなど詰めて、スーツケースはパンパンになりそう(まだ完成していない)。バルセロナとかも長かったけど、暑い場所なら衣類が薄くてあまりかさばらないんだよなぁ。

 ってわけで、現地で時間があったら、ボチボチ更新します。(現地の様子を更新するのか?埋まってない4月・5月を更新するのか?(^^;)

5月20日(木)

 さだまさしコンサートを観にNHKホールへ出かけた。
ファンクラブメンバー用のライブで、毎年ツアーコンサートではないような趣向を凝らしたステージをみせてくれます。今年は、昨年末に亡くなった「お父様」にちなんだ曲やトークがテーマでした。
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 コンサートトークの途中で、「関係者によるお別れ会」でも飾ったという大きな遺影がステージに登場しました。噂どおりピンクの額でした。
さださんの「暗くならいないように」という言葉で、スタッフがピンクを選んだそうです。それもまた、いいのかも(^^)
 ファン皆でお父様を追悼することができて、私たちもなんだか嬉しかった。

 そうそう、NHKホールへ向かう途中、珍しいものを2つ。
一つは明治神宮へ行く若者がたくさんいたこと。どうやら、ここの井戸がパワースポットとして話題になっているようです。
もう一つは、代々木の「サムライブルーパーク」に立つ、ブルーユニホームを着た巨大坂本龍馬像。龍馬さん、日本(代表)をよろしく!

5月19日(水)

 今月から『星ナビ』の新着情報ページの「Book Review」を担当させてもらうことになり、本日ぶじ納品。
天文関連書籍でも自分では買わない(高価で買えない)本なども見ることができて、なかなか面白い。

 来月発売の7月号では三冊を紹介します。

5月18日(火)

 旅チャンネルでFC東京(味の素スタジアム)篇が放送されることになり、その取材でテルが国立天文台にきたという。ご案内係は、サッカー+味スタ=怪鳥ということで、無事お役目を果たしたそうです。

 オンエアーが楽しみ! (オンエアーには登場しないと思います)

5月17日(月)

 そろそろ今週末から出かけるアメリカ滞在の準備をしなくちゃ。

 今回行くコロラド州のBreckenridgeはウインターリゾートとサマーハイキングの有名なところで、そのほかに観光地らしいところはないらいしい。

 まあ私も、こんな機会(怪鳥さんの学会)でもないとアメリカ本土へ行くことはないでしょうからね(^^;
春のロッキー山脈をゆっくりハイキングしてくるわ:P

5月16日(日)

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 FAS府中天文同好会の定例会のあと、怪鳥さんと「月と金星の接近」を観測した。
 薄いピンク色に染まる夕暮れの空に細い月と明るい金星が寄りそって見えて、とてもきれいだった。
電話で実家の妹にも教えてあげたら、「諏訪でもよく見える」とメールで写真を送ってきた。
(この日記に載せた写真は、リトルが三鷹で撮ったもの)
 遠くの人とも一緒に楽しめる天体ショーは、うれしいね。

 すっかり暗くなり月と金星が西に傾きかけたころ、国際宇宙ステーションが明るく反射しながら頭の上を通過した。
そのあとを追っかけて、ドッキング間近のスペースシャトルも飛んでいった。かなりおもしろい光景だった。

5月15日(土)

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 会誌『むぎ星』の編集なので、まずは大掃除。
この二ヶ月間、部屋はいつもにまして散らかってます。

 午後、私はサッカーを見に味スタへ(ごめんね、編集メンバーさん)。
 清水エスパルス相手に2失点し、「このまま終わっちゃうの!?」と思った終了間際、長友選手がきれいなボレーシュート! さらに、松下選手もゴール!!
 ということで、2-2の引き分けで終わりました。

 試合終了後、日本代表に選ばれた長友&今野+岡崎に応援のセレモニーがあった。あー、負けなくて良かった(^^;

5月14日(金)

 「歴史の道」の講座があったけど、なんとなく疲れていたのでお休み。
怪鳥さんも在宅で、ふたりでぼんやり~。

5月も中旬だけど気温が低くて、昨日の朝晩なんてファンヒーターが欠かせない。 

5月13日(木)

 今週初めにサッカーW杯日本代表選手の23人が発表された。
FC東京からは今ちゃんとナガトモの二人。

 さらに今日、予備登録選手というのにナオとトクナガが選ばれた。
ギリギリの当落線上って感じだけど、ナオにもチャンスが生まれた。

5月12日(水)

 そろそろ仕事をしなくては。
ということで、こんな感じやこんな感じで原稿を書いたり。

 調布で何かいいネタがありましたら情報を(^^)

5月11日(火)

 さすがにちょっとお疲れモード。
 いつもの受診をしたら、帰宅後はだらだらと荷物の片付け。
 洗濯もしなきゃね。今回はたまった……。

5月10日(月)

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 昨晩、姪が友達と一緒に御柱祭を見るといってやってきました。というわけで、今日は四人で建御柱を見ることにした。

 上諏訪担当の秋一の柱が建つところを見るために10時ころ出かける。本日の一番目に建つ予定で、観光客も多かった。
 まずは柱のてっぺんを三角錐に整える冠落としが行われる。斧を使って丁寧に形が整えられる。
 ここまではよかったのだが、やはり一昨日の事故の影響で御柱を支える支柱やロープのチェックが何度も何度も行われ、やっと縛ったと思うとまたほどかれて縛り直す。何度も何度もこの繰り返し……。建御柱の予定時刻11時半を過ぎてもまったく始まる気配がなく、「いつになったら建ち始まるんだろう」と思っていたら、観光客のおばさま達は猛烈に飽きていた(^^;

 さすがに私も「いつになるんだあ!」と思い始めた12時半ころ、なんと「秋四の柱を通しますー!皆さん間をあけてください!!」という無茶な指示。「え、こんなの初めてだよ」と思っていると、ギュウギュウに分けられた人混みの真ん中を、下諏訪地区の人たちに引かれた秋宮四が曳行されていった:o
 秋四は秋一の後ろに位置するため、普段は秋一が終わってからその横を抜けて奥に行くのに、秋一を中断するなんて。
 もう、一昨日から「こんな御柱祭体験したことない」という連続だよ。

 午後1時頃、やっと落ちついて秋一の建御柱(の準備)が再開した。と思ったら、1時半ころ隣の秋二の建御柱が始まった。「えー」って感じで、神楽殿の向こうから響いてくる木遣りやラッパの音に驚く。多くの観光客は「あっちを見に行こう」という人や、「せっかくここまで待ったんだし。やっぱり『一の柱』でしょ」という人でぐちゃぐちゃ。

 そんな騒然としたなか、午後3時過ぎにやっとロープのすべ多の準備が整い「これより秋宮一の柱の建御柱を始めます」という挨拶。空からは雨が降って来ちゃいましたよ。
 圧倒的な遅れと、雨の中の建御柱ということで、ヨイトマケは休む間もなく行われた。
♪よーいとーまーけ ♪まけまけまーけー 私たち氏子も声を合わせて歌。
やり始めれば、けっこう早く御柱祭は建つ。途中で、柱のバランスを取るために左右のあちこちに張られたロープが絡まないようにやりくりするため、支柱に担当さんが昇って付け替え作業を行っていた。よく見ると彼は、今回お世話になった友人だった。気をつけてねーと、私が心配するまでもなく、彼は落ちついて立派にやり遂げていた。
 午後4時半、やっとほとんど完成した。雨の中、もう残っている人は氏子くらいで、宝投げも急いで行われた。

 姪やお友達はほかの柱も見たかっただろうし、曳行も少し体験してみたかっただけろうけど、とにかく今回は「安全第一」になってしまった。
 雨と寒さと立ち尽くした疲労で、もう全身くたくたで、今年の諏訪大社の御柱祭は終わりました。

5月9日(日)

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 休みの妹といっしょに、3人で御柱祭に出かける。
今日の上諏訪地区は秋宮一の担当だけど、人数が多くて曳きに入る所がないくらい。そんなわけで、他の御柱の曳行を見たり、出し物行列の見物に行ったりした。

 下社里曳きの見どころの一つが「東山田地区の長持」。
 長持とはもともと衣類や寝具の収納する長方形の木箱で、運搬するときに太い棹を通して担ぐもの。昔は嫁入り道具の運搬用にも使われ、祝いの「長持歌」を歌いながら進んだという。そして今は、祭の出し物として地区の若者が足運びや歌を練習して披露するのだ。
 ふつうは地区ごと派手な縁起物でめでたく飾ってあるのだが、東山地区の長持ちだけは小ぶりでやや質素な造りに見える。しかし、この古風な長持ちにだけ、諏訪大社から受けた錦の御旗が掲げられ、徳川家康の六男・松平忠輝の書とされる「一之宮御用」の札がつけられている。伝統を守り続けてきた重みがある。

 それらの行列を見ながら春宮へ行ったら、ちょうど「二の柱」の建御柱が完成したところだった。
予定時刻をはるかに遅れていたが、たぶんこれも昨日の事故により慎重に進められたせいだろう。
 そんなわけで、思いがけず宝投げに間近で参加することができた(多くの見物人はくたびれて移動してしまったらしい)。
私は木っ端とお菓子と「春宮二」と書かれた赤い綱を拾った。妹もいくつかの木っ端やお菓子を拾った。そして怪鳥さんは、なんとお宝が入っていたミニ俵をキャッチした。肩から下げられるように紐が付いていて、まるでバッグのようで帰り道でも目立っていた:P

5月8日(土)

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 諏訪大社下社の里曳き、一日目。
我々上諏訪地区の担当は、秋宮二の柱を曳きます。注連掛から下馬橋までの曳行予定ですが、私と怪鳥さんが昼過ぎに着いたときまだ注連掛からのミニ木落しをやっと終えたところだった。

 そんなわけで、ほぼ全行程を曳くことができた。ていうか、曳かねばならないのに遅れてるじゃん。
氏子のおじさんたちも「そろそろ休憩を」と言っても、木遣りがないてラッパが響いて、曳く曳く曳く。

 午後5時、やっと休憩になったと思ったら、今度はまったく動かない。
曳行係たちが足早に行き交い「なんかしらねいけど、とにかく停止!」と言われてストップ。
 しばらくすると、周りのおじさん達が家でケーブルTVの中継を見ている家族との電話で「春宮一の柱の建御柱で事故があった」という情報を得る。にわかに騒がしくなり、いろいろな情報が飛び交って「現場検証が始まったから、まだしばらく動けない」ということが伝わってきた。「それって、大怪我だよね」「重傷らしい」「死亡したらしい」「ニュースで言ってたから本当だ」と、次々に情報が口伝いに広がっていく。

 結局、春宮の坂の上で我々は二時間ほど待つしかない。御柱祭街道に張り詰めた空気が伝わっていくのがわかった。
御柱祭では今までもケガはあったけど、建御柱の最中に落下するなんて……(++!)

 すっかり暗くなった夜7時過ぎ、やっと春宮境内の木落しになった。でも、いつも以上に「足元に気をつけて!」「無理な人はすぐ外れろ」と細かい注意が行き交い、山出しの木落坂くらい緊張感が漂う。
 さらに、落とす直前に柱の上で木遣りが唄い、華乗りが声を出すと、それから静かに柱を降りた! 「今日は誰も飛び乗るな」という声がかかると、追いかけ綱が切られて御柱祭が落ちてきた。そう、丸太ん棒になった柱だけがズルズルっと落ちてきたのだ。それはある意味、ただならぬ緊張感で怖かった。

 もっと怖いのが、薄暗い春宮の境内で時間が止まったままのような「春宮一」の柱がそのままだったこと。

 明日以降は、すべてが安全に行われることを祈ります。

5月7日(金)

 昼過ぎに怪鳥さんと二人、電車で諏訪へ移動。
いつも高速道路の車窓から見ていた猿橋駅や大月駅を通過するとき、上空に架かる中央道を見上げる。
同じ空間がまったく別の風景に見えておもしろ。
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 途中から雨が降りだし、上諏訪駅に着くころにはずいぶん強くなった。
駅の駐車場から車を出して乗り込むと、まず花束を買ってお墓ヘ向かう。父の命日だからね。
 これからも私たちを見守ってください。

 夕飯の買い物などして諏訪の家に着くと、秋葉神社の境内に咲くギョイコウ(緑の桜)がきれいだった。

5月6日(木)

 洗濯をする。

 原稿を仕上げて納品する。

 講座の教室の予約をしに市庁舎へ行く。

 ……そんな、慌ただしい一日。

5月5日(祝)

 ベガルタ仙台を見に、味の素スタジアムへいく。
ベガルタとのJ1リーグは6年ぶりですねぇ。まあ、昨年末の天皇杯ですでに負けているんですけどネ。

 試合は、0-0のスコアレスドロー。選手はがんばってると思うんだけど、どうも結果が出ない。
終了のホイッスルと同時に、ゴール裏からはブーイングも。でも、このブーイングは選手のプレーに対してと言うより、アイディアと作戦のない監督に対してなんだよなぁ。
 リーグ戦は3月にアウエイで大宮に勝って以来、ずっと勝ってない。っていうか、開幕戦にギリギリでロスタイムに勝ってから、味スタで勝ってないのよね~。そりゃ、サポーターだって欲求不満になっちゃうよ。もちろん、選手達が苦しんでいることは充分伝わってくるんだけどネ。
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 帰りに、そのまま府中駅から大国多摩神社へ行く。ちょうどくらやみ祭りの神輿渡御が始まるところで、旧甲州街道で見物した。
 最初に大きな御先払御太皷が登場し、どーんという大きな低い音が響き渡った。昭和60年に作られたこの太鼓は、皮面直が2mもあるそうです。
 やがて、御神輿が登場! 一之宮から六之宮までの御輿、そして御本社が登場すると大いに盛り上がった。
 御神輿が境内から出ると、ようやく本殿に入ることができてお参りをした。帰りに裏を通ったら、ちょうど御霊宮の御神輿が渡御しているところだった。

 久しぶりに「くらやみ祭り」のクライマックスをじっくり見た。毎年5月5日は、なんだかんだと出かけていて府中にいなかったからなぁ。

5月4日(休)

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 今日は本宮の建御柱を見に行く。
昨日の前宮もそうだったけど、今年は見物人が多くていろんな所で規制が厳しかった。

 そんなわけで「本一」には近づけず、おとなしく隣の「本二」を見物。
 本二は曳行の時から演出が上手で、見物していても「何をしているか」よくわかって楽しかった。
(写真は後で撮影した「本一」の御柱)

 本二は宝投げでもイベントがあって、お菓子にくじが付いていた。妹は「お菓子は他の人が持っていったけど、くじが手に残った!」と言って、当たりを手に入れた:P
 商品は「ステンレス製真空マグボトル」でなかなか良い品。よかったね。私はお餅のほかに、御柱の木っ端を拾った。縁起物の木っ端は大切に持って帰って飾ります。

 夕方、諏訪大社上社を参拝して、お土産を買って、諏訪の家に戻る。
 一休みしてから5人で夕飯を食べて、8時過ぎの最終あずさで両親と一緒に府中に帰宅。
疲れたから今回は運転しないで、電車にしました。

 さあ、府中でのつかの間の時間、仕事や洗濯いろいろやらなくちゃ。

5月3日(祝)

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 今日は終日、前宮の建御柱を見物。

 友人の家にみんなでお邪魔し、ご馳走をいただきながら、二階のサンルーフから眺める。
まさに「高処の見物」だね。

 彼女の親戚や友人などいろいろな人が訪れ、私も思わぬ人との再会などあり、楽しい宴会になった。





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 宴会に飽きたら、怪鳥さんと建御柱の近くに行って見る。
下の写真がその時の写真。鈴なりの人が乗ったまま、きれいに建った。
 最後に宝投げが行われ、紅白餅やお菓子などもらった。

 4本目の「前宮四」の柱が建つ頃には、すっかり暗くなっていた。

5月2日(日)

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 朝10時前に府中の両親が上諏訪駅に到着。
諏訪の家でひと休みしてから、5人で諏訪大社上社の里曳きが行われる茅野へ向かう。

 天気も良くて、御柱祭街道は大勢の人で賑わっていた。
里曳きらしくさまざまな出し物が行われ、にぎやかにぎやか(^^)
 上の写真は、お休み中の御柱にまたがっている私たちを撮っているお義父さん:E

 夕方からは、前宮の階段を上る御柱祭を見る。
とても狭くて急な階段を勢いよく引っ張り上げる。鳥居をくぐるときはとくに大変そうだったが、氏子たちが力を合わせて見事に引っぱる。
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 下の写真は、前のメドデコが鳥居を通過し、後ろのメドデコを通すところ。
左右のメドデコをふりながら、交互に通していく。いまは、左側の黄色の氏子しか乗っていない。
こうして、四本の御柱が前宮の境内に引きつけられた。

5月1日(土)

 昼過ぎから実家の大掃除。明日から、府中の両親が御柱祭を見るために泊まりに来るからね。

 夕方からはお邪魔する予定の友人の家の大掃除。前回も窓ふきがんばったからねー。
今回もお世話になります、どうぞよろしく。

 妹は仕事を終えてから、親戚の家に呼ばれて荷物を取りに行く。お土産をたくさんもらって、ご馳走をたっぷり食べて帰ってきた。さあ、いよいよ御柱祭です:)

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