5月28日(金)

 怪鳥さんたちはお昼前で学会が終了。おつかれさまでした。
みなんさんで、ランチを食べに行く。本日は野外のテラス席で、台湾メニューを食べました。
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 今回はこれで、皆さん解散。帰国するために夕方ホテルをたつ人や、明日の早朝の飛行に乗る人など、いろいろなルートで日本へ帰っていきます。我々は「飛行機を安くするために」もうちょっと遅くまでアメリカにいるのです。
 とりあえず、午後はゆっくりと怪鳥さんのお土産を買ったり、二人で街を散策したり。

 写真は、町の消防署。
 左上が、開拓当時の消防署でミニ博物館になっている。「レッド・ホワイト・ブルー」というのが当時の消防署のことで、現在(右下)も同じ配色とデザインの看板が掲げられている。
 男性は博物館を案内してくれた、現役の消防士さんです。当時の消防車(右上)の造りを説明してくれたり、合図のラッパを吹くポーズ(左下)をとってくれたりました。とても親切でカッコイイ消防士さんでした。
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 遅くならないうちにホテルへ戻り、残った食料をすべて出して最後の晩餐(笑)
明朝早くに出発するというW先生を部屋に招いて、いっしょに夕飯を食べました。

 この部屋で過ごすのも最後だと思うと、ちょっと寂しい気もします。すっかりここで暮らしていた気分だからね。窓から見える山の残雪も、この一週間でかなり少なくなり「雪解けが進んで春(夏)になっていくんだなぁ」と実感。
 部屋の窓から見下ろす道(写真・左)を何度も乗ったFree rideバスが通過すると、「あちこちに運んでくれてありがとう」とお別れを告げる。
 ちなみに、右の写真は昨日泳いだ室内プール。右端に映っているのが、毎回通った渡り廊下の通路。よくみると怪鳥さんが立ってます(笑)。

5月27日(木)

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 今日は天気もいいので、ハイキングに行くことにした。といっても、本格的に山へ入るにはガイドがいないと(道も動物も分からず)心配だから、ホテルの裏から続く小川に沿ってトレイルを歩くという簡単なもの。

 軽食と飲み物をリュックサックに入れて、紫外線よけに帽子をかぶってサングラスをして、いざ出発!
(上段の左)小さな湖へ注ぐ川から上流を見上げると、遙か遠くに白いロッキー山脈が見える。もちろん、あそこまで行きませんけどね。青空と白い山と小川の音が気持ちよくて、思わず歌を歌って歩き始めます。
(上段の右)しばらく行くと、川幅が狭くなって、ときどき橋が渡っていて、右岸と左岸を行ったり来たり。周りは針葉樹林です。
(下段の左)日当たりの良い場所には、ネコヤナギが花を咲かせていました。信州の3月みたいです。
(下段の真ん中)実は、この写真だけ別の場所なのですが「自然シリーズ」ということで。町中の廃屋にいた狐。
(下段の右)美しい小さな紫の花。茎や葉にびっしり産毛が生えてて、なんだか賢治の童話に出てくる「うずのしゅげ」(おきなぐさ)みたい、と思って撮影しました。帰国後調べたら、それであっている「西洋オキナグサ(プルサティラ)」ようです♪
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 かなり上流まで歩き、いよいよ道が怪しくなってきたので、軽食をとって引き返すことにしました。
同じ道を歩くのもつまらないから、とちょっと広い道へ出てみたら、Free rideバスの通る道でした。どうやら、別荘地にたどり着いちゃったみたいです。
 ブリケンリッジの街にはFree rideバスが数ルート走っていて、誰でも無料で乗れるのでとても便利です(写真は、町歩きのときバス停で撮影したもの)。というわけで、疲れ果てた私は、お菓子とジュースで休憩しながらバスが来るのを待って(このルートは30分に一本だった)ホテルへ一直線に帰ることができました。

 ホテルに戻ると、水着に着替えてスパへ。私たちの部屋の四号棟からスカイウォークを使って三号棟へ行く途中、室内&室外プール&プールサイドバーがあってよくお客さんが泳いでいるのを見たので、本日私もチャレンジ。
 ちょうど誰もいなくて(午後4時の暇なときだもんね)ゆっくりのんびりスイミング。

 6時ごろ学会の終わった怪鳥さんが部屋に戻ってきて、みなさんと夕飯を食べに街へ出かけることになりました。
 今日はメーンストリートにあるイタリアン。怪鳥さんが「みんなで食べましょう」とオーダーしたピザが、50cm四方があろうかという超大型でびっくり! アメリカ人は、これ何人で食べるんでしょう(゚o゚)

5月26日(水)

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 怪鳥さんが学会に出席している間、私はひとりでブリケンリッジの街を散策。

 まずインフォメーションで地図をもらい、今も残る歴史的な開拓時代の家などを見て回った。・・・といっても、1800年代のものなんだけどね。
 小さな田舎のリゾート地は、一日で隅々まで歩くとちょうどいいくらい。

 写真はすべてこの町ができた当時から残っている(保存されている)建物です。
上段の左から、教会・学校・開拓民の集まっていたところ。
2段目はすべて開拓者の家。室内には当時の家財道具など展示され、ミニ博物館になっている。
下段の左から、開拓者の家→一代前のインフォメーション、開拓者の家へ続く道、馬車。

 そしたら、写真のような機関車を見つけました!
 今はもう廃線になっているのですが、かつてはこの高地(9600フィートつまり約3000m!)に鉄道を走らせていたのです。写真を見てもわかるように、先頭部は雪を砕いて避けるドリル状のものがついています。(まるでトンネルを掘る専用車みたい)
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 そんなふうに、一日歩き回ってホテルの部屋に戻ってテレビをつけたら「コロラド州で大きな竜巻とヒョウによる嵐」と言っていた。数日前に降りたデンバー空港も暗雲に包まれていてびっくり。

 夜は懇親会があり、私も食事代を払って参加させていただいた。同じテーブルにはロシア圏のさまざまな国からきた天文学者さんがいて、ウクライナ・タジキスタン・アゼルバイジャンそしてモスクワのいろいろな事をうかがってとても興味深かった。

5月25日(火)

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 滞在中のBreckenridge(ブリケンリッジ)のホテルからパソコンをつないでみました。
 こちらは、ただいま25日(火)午前11時だけど、このパソコンの時刻表示は26日の2時になっています。ってことで、滞在中の内容は現地時間で書いていきますねん♪

 写真はこの部屋のリビングスペース。窓と暖炉が同じ壁になります。右半分にソファーがあって、左側にテービル&チェア。
 これと同じくらいの広さの「バス+キッチン+トイレ&パウダールーム」、「寝室+クロゼット」があり、日本だったら“けっこう立派なマンション”てかんじ(笑)。

 その窓(ベランダ)からの風景が、下の写真です。よく見るといろいろ撮ってます(笑)。
青空に映える白いロッキー・手前の緑の林・その手前にホテルから伸びるリフト・茶色の建物がホテルのメインビルディング・この写真では切れてしまってるけど左側に渡り廊下(スカイウォーク)・右端にホテルのプール。こんな所です。
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 この日は、私もW先生など日本人の方々の発表を拝聴しにいきました。

 夜は、そんな日本人参加者の皆さんと一緒にレストランへ出かけた。Taipei-Tokyoという名前の店(笑)だったけど、味は「中華料理にハズレなし」って感じ。学会には日本各地から参加者が来るから、こういう時の方がお会いできる。

5月24日(月)

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 この学会は「メテオロイド」という、流星に関する研究発表。怪鳥さんはオリオン座流星群について発表した。
 オリオン座流星群といえば、昨秋は日本で突然ブームのように話題になったなぁ。そう思うと、怪鳥さんの計算によって多くの人がオリオン座流星群を見たり話題にして楽しむことができたのだから良かったね。

 この日は天候があまり良くなくて、午前中に一時、吹雪になった!
場所柄ありえるとわかっていても、ビックリする。

 夜は、ポスターセッションとレセプションが行われた。
怪鳥さんは国立天文台のキャンペーンチームとして、日本でのキャンペーン活動の紹介とその報告数がサイエンス的にもある程度の価値があることをまとめた。
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 向かい側に展示されたポスターには、なんと小さなモニターが取り付けられて動画が映っていた。そっか、薄くて小型のモニターを使えば、流星(火球)や流星痕などの変化(移動)を紹介しやすいんだ。

 夜は、部屋の暖炉に火を点けてみた。
乾燥しているから薪がドンドン燃えて、火の手も赤々と上がり、見ているとなごむ。今日のようなちょっと寒い日は、気持ちがいいね。

5月23日(日)

 学会は明日からなので、今日は怪鳥さんと二人で街まで買い物に出かけた。(写真は、メインストリートからそれた細い路地)
 こんな田舎町でも、やっぱりシティーマーケットは何もかもBIGサイズ。しかも、美味しそうなハムやチーズを計り売りしてもらうと、単位はポンド。1ポンドのハムって食べきれるのかイメージできないよ(笑)。ってことで、他の人が買った1ポンドの量を見て、自分たちは「クウォーター・ポンド」注文しました(^^;

 マーケットの買い物としては日本と大差ない(珍しい物ばかり並んでいるわけでなはない)から、日本で買い出しに来たのと同じ感覚。そういう意味では、韓国の釜山が一番おもしろかった。個性的なスープがいろいろあって、そのどれもが美味しかった。
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 買い物のついでに、二人で街をぶらぶら歩いてみた。細長い街の真ん中にブルーリバーが流れていて(正確に言うと、この川が開いた周りに街ができた)、遊歩道が整備されて大きな犬を連れた半袖の大人達が散歩したり、広場で子ども連れが遊んでいたりとってものどか。

 マーケットで買った食材を使って、遅い昼食&早い夕飯を食べる。
 このホテルはスキーヤーなどによる長期滞在型リゾートなので、スイートルームでなくてもキッチン・リビング・食卓・暖炉・ジェットバスルーム・寝室があって、二人で使ってもとても広い♪ こういうときだけは、アメリカ人がビッグサイズ好きなのが嬉しい(笑)

 というわけで、電気コンロで湯を沸かし紅茶を入れ(コーヒーメイカーもある)、ソーセージや卵を焼き、美味しいチーズでパンを頬ばりながら、マーケットで買ったサッポロ一番をスープ代わりに食べる(笑)。これを食べる箸がほしくて、ついでにいなり寿司も買う。こんな所でも日本食は売っています(現地の人が日本食好きなのか、日本人スキーヤーが多いのかは不明)。

 夜は、明日の学会発表にそなえて、怪鳥さんは最後の追い込み&スピーチレッスン。
いよいよ本番だね-。明日は私も見学&写真係として同行させてもらいますね。

 Breckenridge(ブリケンリッジ)は、4つのアメリカ時間帯のなかで山岳部時間(マウンテンタイム)で日本からは-16時間。サマータイムのせいかなのかなかなか日が暮れず(現地新聞の日没時間は夜8時20分)、遅くまで高い山の山頂だけ陽が当たって輝いている。ちなみに日の出時間は5時40分。部屋の大きな窓から見える山から昇ってきます。

5月22日(土)

 昼のバスで成田に移動、2時過ぎに順調に到着。
午後5時出発の飛行機でサンフランシスコへ。長い長い土曜日の始まりです。

 約9時間のフライトで到着すると、いつものように入国審査を受ける。審査員は怪鳥さんのパスポートを見るとなごやかに話しながらも「部室へ」とうながされてしまった。一昨年のハワイの時もそうだった。
よくよく話を聞くと、どうやら新婚旅行でペルーへ行ったときシアトルでおこなった入国がそのまま(つまり出国していない)らしい。たしかにあのときは乗り継ぎがバタバタして「荷物は?」「手続きは?」って感じで慌ただしかったからなぁ。私は大丈夫なんだけど、どうも怪鳥さん履歴だけ抜けがあるみたい。ほかの国では二人とも全く問題なかったのに。今後もアメリカ入国の度に説明しなくてはいけないのか!?
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 そんなこんなでなんとか入国すると、2時間後にデンバーへ出発。窓際の席にしたので、眼下に見える町並みや砂漠、雪をかぶったロッキー山脈を眺めていたら、あっという間に到着。
 あとはホテルへの移動だけ・・・と思ったら、デンバー空港がやたらデカイ! 到着ブリッジからコンコースに着いたと思ったら(コンコースが3つもある)無人地下鉄でターミナルまで移動しなくてはいけい。20番まであるようなバッゲージクレームエリアで荷物を拾い、現地の午後5時にやっと乗合送迎バスに乗った。
 空港を出て振り返ると、デンバー空港はロッキー山脈のように山形になった白いファブリックルーフがきれいだった。でも、ここからロッキー山脈はもちろんデンバーの街もまったく見えない。ただただ広大な荒野(にしかみえない土地。たぶん空港関連地やはてしない駐車場)があるだけだった。さすが、アメリカ最大の空港(世界でも最も大きい空港の一つ)といわれるわけだ。

 やがて30分ほど走るとビルディングの建つデンバーが見えてきた。でも、目的地のBreckenridgeはまだまだ先。30分程うとうとして目が覚めると、目の前に真っ白な雪山が迫っていた。ちょっと感動~。
さらに、30分ほど走ると最初の乗客の目的地に到着。彼は別荘の前で降りていった。さらに、次の客、次の客とみな別荘族なのね。最後に我々二人が残り「あと10マイルだ」と言って、合計2時間走ってホテルに到着した。

 チェックインの手続きをして、一息ついて、今夜の夕飯について考える。疲れているからホテル内のレストランで食べようと思ったら、店が閉まっていた。学会メンバーより一日早く入ったから宿泊客が少ないしたし、何よりもウインターシーズンとサマーシーズンの狭間の閑散期。しかたなく、街まで歩いていったけど時間も遅くなりなかなか営業していなくて、やっと入った店が有りがたかった。店員さんも気持ちの良い接客で、お腹もいっぱいになりちょっと元気が出てきた。

 しかし、夜10時のロッキー山脈の麓は寒い! 暖かい服もいろいろ持ってきたけど、スーツケースを開けるのが面倒で食事に出たから、部屋に帰り付いたときにはすっかり冷えてしまった。あー、疲れた。おやすみなさい・・・でも、時差ボケなのか疲れ過ぎなのかうまく寝付けない。

5月21日(金)

 すっかり更新が滞ってますが、そんな慌ただしいなか、明日から怪鳥さんにお供してアメリカ・コロラド州(デンバーの近く)へ行ってきます。
 怪鳥さんはただいま学会発表用のポスター制作など最終作業をしており、リトルは暑さのなか荷造りに追われてます。

 なんだかんだで、帰国予定は5月31日。約10日分の衣類を引っ張り出し、現地は標高2000メートル以上という高地で防寒用のフリースなど詰めて、スーツケースはパンパンになりそう(まだ完成していない)。バルセロナとかも長かったけど、暑い場所なら衣類が薄くてあまりかさばらないんだよなぁ。

 ってわけで、現地で時間があったら、ボチボチ更新します。(現地の様子を更新するのか?埋まってない4月・5月を更新するのか?(^^;)

5月20日(木)

 さだまさしコンサートを観にNHKホールへ出かけた。
ファンクラブメンバー用のライブで、毎年ツアーコンサートではないような趣向を凝らしたステージをみせてくれます。今年は、昨年末に亡くなった「お父様」にちなんだ曲やトークがテーマでした。
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 コンサートトークの途中で、「関係者によるお別れ会」でも飾ったという大きな遺影がステージに登場しました。噂どおりピンクの額でした。
さださんの「暗くならいないように」という言葉で、スタッフがピンクを選んだそうです。それもまた、いいのかも(^^)
 ファン皆でお父様を追悼することができて、私たちもなんだか嬉しかった。

 そうそう、NHKホールへ向かう途中、珍しいものを2つ。
一つは明治神宮へ行く若者がたくさんいたこと。どうやら、ここの井戸がパワースポットとして話題になっているようです。
もう一つは、代々木の「サムライブルーパーク」に立つ、ブルーユニホームを着た巨大坂本龍馬像。龍馬さん、日本(代表)をよろしく!

5月19日(水)

 今月から『星ナビ』の新着情報ページの「Book Review」を担当させてもらうことになり、本日ぶじ納品。
天文関連書籍でも自分では買わない(高価で買えない)本なども見ることができて、なかなか面白い。

 来月発売の7月号では三冊を紹介します。

5月18日(火)

 旅チャンネルでFC東京(味の素スタジアム)篇が放送されることになり、その取材でテルが国立天文台にきたという。ご案内係は、サッカー+味スタ=怪鳥ということで、無事お役目を果たしたそうです。

 オンエアーが楽しみ! (オンエアーには登場しないと思います)

5月17日(月)

 そろそろ今週末から出かけるアメリカ滞在の準備をしなくちゃ。

 今回行くコロラド州のBreckenridgeはウインターリゾートとサマーハイキングの有名なところで、そのほかに観光地らしいところはないらいしい。

 まあ私も、こんな機会(怪鳥さんの学会)でもないとアメリカ本土へ行くことはないでしょうからね(^^;
春のロッキー山脈をゆっくりハイキングしてくるわ:P

5月16日(日)

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 FAS府中天文同好会の定例会のあと、怪鳥さんと「月と金星の接近」を観測した。
 薄いピンク色に染まる夕暮れの空に細い月と明るい金星が寄りそって見えて、とてもきれいだった。
電話で実家の妹にも教えてあげたら、「諏訪でもよく見える」とメールで写真を送ってきた。
(この日記に載せた写真は、リトルが三鷹で撮ったもの)
 遠くの人とも一緒に楽しめる天体ショーは、うれしいね。

 すっかり暗くなり月と金星が西に傾きかけたころ、国際宇宙ステーションが明るく反射しながら頭の上を通過した。
そのあとを追っかけて、ドッキング間近のスペースシャトルも飛んでいった。かなりおもしろい光景だった。

5月15日(土)

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 会誌『むぎ星』の編集なので、まずは大掃除。
この二ヶ月間、部屋はいつもにまして散らかってます。

 午後、私はサッカーを見に味スタへ(ごめんね、編集メンバーさん)。
 清水エスパルス相手に2失点し、「このまま終わっちゃうの!?」と思った終了間際、長友選手がきれいなボレーシュート! さらに、松下選手もゴール!!
 ということで、2-2の引き分けで終わりました。

 試合終了後、日本代表に選ばれた長友&今野+岡崎に応援のセレモニーがあった。あー、負けなくて良かった(^^;

5月14日(金)

 「歴史の道」の講座があったけど、なんとなく疲れていたのでお休み。
怪鳥さんも在宅で、ふたりでぼんやり~。

5月も中旬だけど気温が低くて、昨日の朝晩なんてファンヒーターが欠かせない。 

5月13日(木)

 今週初めにサッカーW杯日本代表選手の23人が発表された。
FC東京からは今ちゃんとナガトモの二人。

 さらに今日、予備登録選手というのにナオとトクナガが選ばれた。
ギリギリの当落線上って感じだけど、ナオにもチャンスが生まれた。

5月12日(水)

 そろそろ仕事をしなくては。
ということで、こんな感じやこんな感じで原稿を書いたり。

 調布で何かいいネタがありましたら情報を(^^)

5月11日(火)

 さすがにちょっとお疲れモード。
 いつもの受診をしたら、帰宅後はだらだらと荷物の片付け。
 洗濯もしなきゃね。今回はたまった……。

5月10日(月)

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 昨晩、姪が友達と一緒に御柱祭を見るといってやってきました。というわけで、今日は四人で建御柱を見ることにした。

 上諏訪担当の秋一の柱が建つところを見るために10時ころ出かける。本日の一番目に建つ予定で、観光客も多かった。
 まずは柱のてっぺんを三角錐に整える冠落としが行われる。斧を使って丁寧に形が整えられる。
 ここまではよかったのだが、やはり一昨日の事故の影響で御柱を支える支柱やロープのチェックが何度も何度も行われ、やっと縛ったと思うとまたほどかれて縛り直す。何度も何度もこの繰り返し……。建御柱の予定時刻11時半を過ぎてもまったく始まる気配がなく、「いつになったら建ち始まるんだろう」と思っていたら、観光客のおばさま達は猛烈に飽きていた(^^;

 さすがに私も「いつになるんだあ!」と思い始めた12時半ころ、なんと「秋四の柱を通しますー!皆さん間をあけてください!!」という無茶な指示。「え、こんなの初めてだよ」と思っていると、ギュウギュウに分けられた人混みの真ん中を、下諏訪地区の人たちに引かれた秋宮四が曳行されていった:o
 秋四は秋一の後ろに位置するため、普段は秋一が終わってからその横を抜けて奥に行くのに、秋一を中断するなんて。
 もう、一昨日から「こんな御柱祭体験したことない」という連続だよ。

 午後1時頃、やっと落ちついて秋一の建御柱(の準備)が再開した。と思ったら、1時半ころ隣の秋二の建御柱が始まった。「えー」って感じで、神楽殿の向こうから響いてくる木遣りやラッパの音に驚く。多くの観光客は「あっちを見に行こう」という人や、「せっかくここまで待ったんだし。やっぱり『一の柱』でしょ」という人でぐちゃぐちゃ。

 そんな騒然としたなか、午後3時過ぎにやっとロープのすべ多の準備が整い「これより秋宮一の柱の建御柱を始めます」という挨拶。空からは雨が降って来ちゃいましたよ。
 圧倒的な遅れと、雨の中の建御柱ということで、ヨイトマケは休む間もなく行われた。
♪よーいとーまーけ ♪まけまけまーけー 私たち氏子も声を合わせて歌。
やり始めれば、けっこう早く御柱祭は建つ。途中で、柱のバランスを取るために左右のあちこちに張られたロープが絡まないようにやりくりするため、支柱に担当さんが昇って付け替え作業を行っていた。よく見ると彼は、今回お世話になった友人だった。気をつけてねーと、私が心配するまでもなく、彼は落ちついて立派にやり遂げていた。
 午後4時半、やっとほとんど完成した。雨の中、もう残っている人は氏子くらいで、宝投げも急いで行われた。

 姪やお友達はほかの柱も見たかっただろうし、曳行も少し体験してみたかっただけろうけど、とにかく今回は「安全第一」になってしまった。
 雨と寒さと立ち尽くした疲労で、もう全身くたくたで、今年の諏訪大社の御柱祭は終わりました。

5月9日(日)

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 休みの妹といっしょに、3人で御柱祭に出かける。
今日の上諏訪地区は秋宮一の担当だけど、人数が多くて曳きに入る所がないくらい。そんなわけで、他の御柱の曳行を見たり、出し物行列の見物に行ったりした。

 下社里曳きの見どころの一つが「東山田地区の長持」。
 長持とはもともと衣類や寝具の収納する長方形の木箱で、運搬するときに太い棹を通して担ぐもの。昔は嫁入り道具の運搬用にも使われ、祝いの「長持歌」を歌いながら進んだという。そして今は、祭の出し物として地区の若者が足運びや歌を練習して披露するのだ。
 ふつうは地区ごと派手な縁起物でめでたく飾ってあるのだが、東山地区の長持ちだけは小ぶりでやや質素な造りに見える。しかし、この古風な長持ちにだけ、諏訪大社から受けた錦の御旗が掲げられ、徳川家康の六男・松平忠輝の書とされる「一之宮御用」の札がつけられている。伝統を守り続けてきた重みがある。

 それらの行列を見ながら春宮へ行ったら、ちょうど「二の柱」の建御柱が完成したところだった。
予定時刻をはるかに遅れていたが、たぶんこれも昨日の事故により慎重に進められたせいだろう。
 そんなわけで、思いがけず宝投げに間近で参加することができた(多くの見物人はくたびれて移動してしまったらしい)。
私は木っ端とお菓子と「春宮二」と書かれた赤い綱を拾った。妹もいくつかの木っ端やお菓子を拾った。そして怪鳥さんは、なんとお宝が入っていたミニ俵をキャッチした。肩から下げられるように紐が付いていて、まるでバッグのようで帰り道でも目立っていた:P

5月8日(土)

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 諏訪大社下社の里曳き、一日目。
我々上諏訪地区の担当は、秋宮二の柱を曳きます。注連掛から下馬橋までの曳行予定ですが、私と怪鳥さんが昼過ぎに着いたときまだ注連掛からのミニ木落しをやっと終えたところだった。

 そんなわけで、ほぼ全行程を曳くことができた。ていうか、曳かねばならないのに遅れてるじゃん。
氏子のおじさんたちも「そろそろ休憩を」と言っても、木遣りがないてラッパが響いて、曳く曳く曳く。

 午後5時、やっと休憩になったと思ったら、今度はまったく動かない。
曳行係たちが足早に行き交い「なんかしらねいけど、とにかく停止!」と言われてストップ。
 しばらくすると、周りのおじさん達が家でケーブルTVの中継を見ている家族との電話で「春宮一の柱の建御柱で事故があった」という情報を得る。にわかに騒がしくなり、いろいろな情報が飛び交って「現場検証が始まったから、まだしばらく動けない」ということが伝わってきた。「それって、大怪我だよね」「重傷らしい」「死亡したらしい」「ニュースで言ってたから本当だ」と、次々に情報が口伝いに広がっていく。

 結局、春宮の坂の上で我々は二時間ほど待つしかない。御柱祭街道に張り詰めた空気が伝わっていくのがわかった。
御柱祭では今までもケガはあったけど、建御柱の最中に落下するなんて……(++!)

 すっかり暗くなった夜7時過ぎ、やっと春宮境内の木落しになった。でも、いつも以上に「足元に気をつけて!」「無理な人はすぐ外れろ」と細かい注意が行き交い、山出しの木落坂くらい緊張感が漂う。
 さらに、落とす直前に柱の上で木遣りが唄い、華乗りが声を出すと、それから静かに柱を降りた! 「今日は誰も飛び乗るな」という声がかかると、追いかけ綱が切られて御柱祭が落ちてきた。そう、丸太ん棒になった柱だけがズルズルっと落ちてきたのだ。それはある意味、ただならぬ緊張感で怖かった。

 もっと怖いのが、薄暗い春宮の境内で時間が止まったままのような「春宮一」の柱がそのままだったこと。

 明日以降は、すべてが安全に行われることを祈ります。

5月7日(金)

 昼過ぎに怪鳥さんと二人、電車で諏訪へ移動。
いつも高速道路の車窓から見ていた猿橋駅や大月駅を通過するとき、上空に架かる中央道を見上げる。
同じ空間がまったく別の風景に見えておもしろ。
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 途中から雨が降りだし、上諏訪駅に着くころにはずいぶん強くなった。
駅の駐車場から車を出して乗り込むと、まず花束を買ってお墓ヘ向かう。父の命日だからね。
 これからも私たちを見守ってください。

 夕飯の買い物などして諏訪の家に着くと、秋葉神社の境内に咲くギョイコウ(緑の桜)がきれいだった。

5月6日(木)

 洗濯をする。

 原稿を仕上げて納品する。

 講座の教室の予約をしに市庁舎へ行く。

 ……そんな、慌ただしい一日。

5月5日(祝)

 ベガルタ仙台を見に、味の素スタジアムへいく。
ベガルタとのJ1リーグは6年ぶりですねぇ。まあ、昨年末の天皇杯ですでに負けているんですけどネ。

 試合は、0-0のスコアレスドロー。選手はがんばってると思うんだけど、どうも結果が出ない。
終了のホイッスルと同時に、ゴール裏からはブーイングも。でも、このブーイングは選手のプレーに対してと言うより、アイディアと作戦のない監督に対してなんだよなぁ。
 リーグ戦は3月にアウエイで大宮に勝って以来、ずっと勝ってない。っていうか、開幕戦にギリギリでロスタイムに勝ってから、味スタで勝ってないのよね~。そりゃ、サポーターだって欲求不満になっちゃうよ。もちろん、選手達が苦しんでいることは充分伝わってくるんだけどネ。
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 帰りに、そのまま府中駅から大国多摩神社へ行く。ちょうどくらやみ祭りの神輿渡御が始まるところで、旧甲州街道で見物した。
 最初に大きな御先払御太皷が登場し、どーんという大きな低い音が響き渡った。昭和60年に作られたこの太鼓は、皮面直が2mもあるそうです。
 やがて、御神輿が登場! 一之宮から六之宮までの御輿、そして御本社が登場すると大いに盛り上がった。
 御神輿が境内から出ると、ようやく本殿に入ることができてお参りをした。帰りに裏を通ったら、ちょうど御霊宮の御神輿が渡御しているところだった。

 久しぶりに「くらやみ祭り」のクライマックスをじっくり見た。毎年5月5日は、なんだかんだと出かけていて府中にいなかったからなぁ。

5月4日(休)

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 今日は本宮の建御柱を見に行く。
昨日の前宮もそうだったけど、今年は見物人が多くていろんな所で規制が厳しかった。

 そんなわけで「本一」には近づけず、おとなしく隣の「本二」を見物。
 本二は曳行の時から演出が上手で、見物していても「何をしているか」よくわかって楽しかった。
(写真は後で撮影した「本一」の御柱)

 本二は宝投げでもイベントがあって、お菓子にくじが付いていた。妹は「お菓子は他の人が持っていったけど、くじが手に残った!」と言って、当たりを手に入れた:P
 商品は「ステンレス製真空マグボトル」でなかなか良い品。よかったね。私はお餅のほかに、御柱の木っ端を拾った。縁起物の木っ端は大切に持って帰って飾ります。

 夕方、諏訪大社上社を参拝して、お土産を買って、諏訪の家に戻る。
 一休みしてから5人で夕飯を食べて、8時過ぎの最終あずさで両親と一緒に府中に帰宅。
疲れたから今回は運転しないで、電車にしました。

 さあ、府中でのつかの間の時間、仕事や洗濯いろいろやらなくちゃ。

5月3日(祝)

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 今日は終日、前宮の建御柱を見物。

 友人の家にみんなでお邪魔し、ご馳走をいただきながら、二階のサンルーフから眺める。
まさに「高処の見物」だね。

 彼女の親戚や友人などいろいろな人が訪れ、私も思わぬ人との再会などあり、楽しい宴会になった。





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 宴会に飽きたら、怪鳥さんと建御柱の近くに行って見る。
下の写真がその時の写真。鈴なりの人が乗ったまま、きれいに建った。
 最後に宝投げが行われ、紅白餅やお菓子などもらった。

 4本目の「前宮四」の柱が建つ頃には、すっかり暗くなっていた。

5月2日(日)

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 朝10時前に府中の両親が上諏訪駅に到着。
諏訪の家でひと休みしてから、5人で諏訪大社上社の里曳きが行われる茅野へ向かう。

 天気も良くて、御柱祭街道は大勢の人で賑わっていた。
里曳きらしくさまざまな出し物が行われ、にぎやかにぎやか(^^)
 上の写真は、お休み中の御柱にまたがっている私たちを撮っているお義父さん:E

 夕方からは、前宮の階段を上る御柱祭を見る。
とても狭くて急な階段を勢いよく引っ張り上げる。鳥居をくぐるときはとくに大変そうだったが、氏子たちが力を合わせて見事に引っぱる。
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 下の写真は、前のメドデコが鳥居を通過し、後ろのメドデコを通すところ。
左右のメドデコをふりながら、交互に通していく。いまは、左側の黄色の氏子しか乗っていない。
こうして、四本の御柱が前宮の境内に引きつけられた。

5月1日(土)

 昼過ぎから実家の大掃除。明日から、府中の両親が御柱祭を見るために泊まりに来るからね。

 夕方からはお邪魔する予定の友人の家の大掃除。前回も窓ふきがんばったからねー。
今回もお世話になります、どうぞよろしく。

 妹は仕事を終えてから、親戚の家に呼ばれて荷物を取りに行く。お土産をたくさんもらって、ご馳走をたっぷり食べて帰ってきた。さあ、いよいよ御柱祭です:)

4月30日(金)

 5月2日からの御柱祭にそなえて、今夜から諏訪に移動開始!

まずは、上社の里曳きからです。
今回は、府中の両親も見物にやってきます。
天気も良さそうだし、楽しみだね♪

 まずは明日、実家の大掃除&御柱祭見学させてもらう友人宅の準備手伝いから。

4月29日(祝)

 ここまで慌ただしくて確定申告ができなかったので、怪鳥さんと二人で申告書をまとめあげる。
明日、いっしょに提出してこようね。なんとかギリギリ「4月のうち」ってことで。

 世の中はそろそろ大型連休。高速道路はやっぱり混むんだろうなぁ。 

4月28日(水)

 今週末からまた諏訪への長移動があるから、タイヤをスタットレスからノーマルへ交換する。
徐々に冬から春モードへ。
でも今年は、春へのスイッチが入るのが遅い気がする。

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